日本の政治家と中国の「官」

                                     黄 文葦

9月16日、菅新政権が誕生した。日本の総理大臣が変わったこと、なぜか、中国人が日本人より興奮しているようである。中国マスコミが連日、日本の新総理と新政権を取り上げている。


  

周知のように、中国政府のトップは変わらない。一般の人々には「選挙」は遙かなる時空の中のことである。隣国の総理大臣の更迭について中国人は興味津々になる。マスコミはさらに日本新政権の対中政策を予測したりする。  



「政治家」という言葉は、中国ではあまり使われていない。代わりに「官」の一文字で政府の役人・政治家を総括する。「高官」、「大官」の言い方もある。「当官」は政治家・役人になること。 中国人の従来の意識で、政権を変わるのは、国と個人にとって、非常に大きな出来事である。昔は「改朝換代」という。王朝・政権が交代する。



しかし、多くの日本人は誰が自国の総理大臣になっても構わないという態度を示しているらしい。 中国人と日本人、「政治家」と「官」について、意識は大きく異なる。政治家は一つの職業、「官」は一つの民族性格とイデオロギーを現わす。日本の議員が選挙で落選したら、無職になるかもしれない。  



「一朝天子一朝臣」(一代ごとの天子に一代ごとの臣下)、これは政権交代に関する中国の俗語である。権力を握る者が交代すれば部下も総替わりする。現代の「官」も、就任後はお気に入りを使っている。 一方、日本では総理大臣・大臣が変わっても、官庁の官僚はあまり変わらない。政権が変わっても、閣僚をそのまま使うこともある。菅内閣は「第5回安倍内閣」とも言える。政権が変わっても官僚が変わらず、日本社会が安定しているのはそのおかげであるかもしれない。 



中国の古典文学の中、「官」に対する意識がみられる。18世紀の中国清代中期に成立した白話小説「儒林外史」(じゅりんがいし)の中、「範進中挙」という物語がある。 50代の貧乏な書生である範進は家族に内緒で省府に入試に行き、「挙人」の入試(明清時代の郷試)に合格した。官職も勢力も金も手に入れられると興奮し、範進は気が狂った… 


 

もう一つの例として、古典名作の「水滸伝」の中、主人公の宋江は、反乱を起こした人物だが、内心で朝廷に忠義を尽くすことを望んでいた。最終的朝廷から招安を受けて罪を赦され、官職を得た… 



今でも、「官」にハマっている中国人が大勢いる。「官」になるのは多くの人の夢である。権力を持つことは、誉れ高く生きられる証だとみなされる。官職は権力と金銭とつながる。官職にめぐって権力闘争や腐敗の事例がたくさんあった。 



「官」に関する俗語はもう一つは「新官上任三把火」。新任の役人は3本のたいまつを燃やすほどのエネルギーがあるという。新任の「官」は最初に幾つかの仕事をして自分の能力・権威を示すこと。 新鮮味がないといわれている菅新政権には、「新官上任三把火」があるだろうか。新型コロナ対策、デジタル対策、経済回復を「三把火」にしてほしい。  

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍