【中国に関する質問回答】:中国の「中秋節文化」
黄 文葦
【質問】
10月1日は中秋の名月の日ですが、元々お月見は中国から伝わってきたといった記述を見かけました。
実際中国でもお月見をするのでしょうか?
【回答】
中秋の名月の日は、中国では「中秋節」と言います。別名「拝月節」とも言います。中秋節はお月見、月餅を味わい、飾り提灯を鑑賞、桂花を花見、桂花酒を飲むなどの風習があり、漢代から今日まで受け継がれています。
中秋節は、満月を人の再会の象徴とし、故郷や家族を懐かしみ、五穀豊穣と幸福を祈る意味を込めて、彩り豊かで貴重な文化遺産となっています。
唐の時代、中秋節はかなり盛んに行われ、多くの詩人が中秋の名月を詠みます。宋の時代になると、お月見活動を中心とした民俗祭が形成され、正式には「中秋節」と呼ばれるようになりました。
唐人とは異なり、宋人は月をより悲しみの感情をもってお月見するらしい。 例えば、北宋の詩人・政治家の蘇軾が中秋の名月を歌った詞「水調歌頭」の中、「人有悲歡離合、月有陰晴圓缺」の名句があります。「人は嬉しい出会いが有れば、悲しい別れも有る。月は欠ける日も有れば、満月の日も有る」。 この作品は今でも、中秋の名月を歌ったものとしては最高の作品という評価が定着しているようです。
宋の時代、特別な中秋の活動があります。それは「観潮」です。河・海において潮の流れるさま、満ち引き(潮汐)を観覧すること。 蘇軾が銭塘江(せんとうこう)の海嘯(海から川へと潮の流れが逆流する自然現象)を観て詠んだ「八月十五日看潮」の詩には「造物亦知人易老、故教江水向西流」の名句があります。「造物(ぞうぶつ)も人の老いやすいを知り、故に江水を西に向かって流れさせ」という意味です。「中秋観潮」は宋代で流行っていました。
明・清の時代には、宮中や庶民の間で月崇拝とお月見が大規模に行われます。現在でも中国各地に「拝月台」、「拝月亭」、「月見塔」などが数多く存在しています。文人たちは特にお月見が好きで、建物の屋上に登って月を眺めたり、船に乗って月に向かって酒を飲んだり、詩を詠んだりして、多くの名作を世に残しておきました。
因みに、現代の中国人には、「中秋節」はお月見より、「家族団欒」の意味が一番大きいです。「中秋節」に、家族で「中秋月餅」を味わうこと、とても大事です。月餅を食べる習俗は唐代に始まりそうです。
毎年の夏ごろから、「中秋月餅」商戦が始まります。今年、新型コロナの影響で、食品業界は上半期に大きな損失を出しており、下半期に月餅を販売することで損失を取り戻したいと期待していました。
昨年のデータですが、2019年1月―9月13日の中秋節の日、中国では月餅は13.8億個を売られて、総販売規模は196.7億元に達しました。2020年9月28日現在、今年は月餅関連の新会社が合計1483社登録されています。
今年の中秋節はちょうど中国の「国慶節」(建国記念日)の10月1日と重ねることで、国の誕生日をお祝いことがメインになりました。新型コロナの影響で、民間のお月見イベントも控えていたそうです。
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