作詞・作曲不詳『大きな栗の木の下で』
両手を胸に当てながらうたったのは
つい昨日のように覚えているのに
236時限目◎音楽
堀間ロクなな
夕方の駅前で、ちょうどコミュニティバスが客待ちしていたのに乗り込んだ。向かいの席には、メガネをかけた老婦人がふたり並んで腰かけている。いっしょに買い物を済ませてきたところらしい。そのとき聞くともなしに聞こえてきたおしゃべりの内容を以下に再現してみたい。
「新しくコンビニができたじゃない」
「あの角のところ?」
「そうそう、あそこ感じ悪いわよ」
「どうして?」
「『おにぎりはどこ』って聞いたら、女の店員がアゴで棚を指すの」
「ふーん」
「こんなふうに。それぐらい自分で探せってことなんだろうけどね」
「ぼく、四つ?」(と、隣席の親子連れに声をかけて、男の子がうなずく)
「あら、よくわかるわね」
「私にも四つの男の子の曾孫がいるのよ」
「曾孫?」
「そりゃそうよ、だって孫たちが6人もいるんだもの」
「あたしは孫娘が死んじゃってね、あの東北の地震で」
「そうだったの」
「津波に流されたみたいで、ぜんぜん見つからない。でも、もう探さないの。そうすれば、どこかで生きているかもしれないって思えるから」
「いくつだったの?」
「30歳」
そこまできたとき、わたしの目的のバス停に到着した。よって、あとの会話の続きは知らない。地面に降り立つと、街路樹のまだ赤茶けた葉っぱをいっぱい残している枝が頭上を覆った。ふいに耳元で幼い日の自分の歌声がよみがえった気がした。
大きな栗の木の下で
あなたとわたし
楽しく遊びましょう
大きな栗の木の下で
後日、川崎洋著『大人のための歌の教科書』(1998年)を調べたら、作詞・作曲不明のこの歌は、終戦後に進駐軍のアメリカ兵が持ってきたものを、だれともなく伝え聞いて歌いだしたという。NHKテレビで「うたのおじさん」友竹正則が取り上げたことにより広く知られ、1965年以降は小学校一年の教科書に掲載されるようになったそうだ。とくに変哲のない歌でありながら、どこか愁いの気配を感じさせるのは、そうした戦後の焼け野原の記憶と重なっているからだろうか。
もう半世紀前、バスのなかで見かけた男の子と同じ年齢だったころに、わたしは近所の年上の女の子の指導のもと、ジャリ道に突っ立って、たったいま教えられた振り付けどおり両手を交差させて胸に当て、首を左右にかしげながら、この歌を繰り返しうたったことを覚えている。やがて秋の日がすっかり落ちて、女の子の表情もわからないぐらい暗くなっていき……。おそらくは、ふたりの老婦人にも似たような思い出があるだろう。つい昨日のように覚えているのに、目先の喜怒哀楽を積み重ねるうちに歳月は流れ、子から孫、孫から曾孫へと生命が紡がれていき、その途次にはときとして受け止めるにはあまりにも重い運命に出会ったりもして、いつしか今日に至っている。そうした人生の道行きというものについて、わたしは『大きな栗の木の下で』を口ずさみながら思いをめぐらした。
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