小林研一郎 指揮『シェヘラザード』
荒れ狂う波間に浮き沈みする
シンドバットさながらに
239時限目◎音楽
堀間ロクなな
日本人の現役指揮者で、こと人気において屈指の存在は小林研一郎だろう。「炎のコバケン」の愛称よろしく、80歳を迎えたいまも全身をダイナミックに使った指揮ぶりで、熱い音楽の奔流をつくりだす。この瞬間にオーケストラとともにあることが楽しくてたまらない、といった心情があからさまに伝わってきて、客席のわれわれもそのタクトに煽られながらひたすら昂揚へと呑み込まれていく。
「オーケストラは天才の集まりです。指揮者はかれらの力によって支えられているのに過ぎません」
小林の持論だ。人懐こいかれは聴衆に対しておしゃべりするのも好みで、数年前にわたしもレクチャー・コンサートへ出かけた際の光景をありありと覚えている。リムスキー=コルサコフ作曲の『シェヘラザード』が演奏される前、ステージの中央からマイクを手にいつものようにオーケストラのメンバーへの賛辞を呈したあとで、感に堪えないといった表情で、今夜のプログラムをめぐるエピソードを語りはじめたのだ。
この曲ではホルンが大活躍するのだけれど、かつてあるオーケストラと演奏したときのこと、初日にホルンの首席奏者がうまく吹けずに失敗してしまった。そうしたら、翌日のコンサートでは実に見事に吹いたので、自分もすっかり嬉しくなって、演奏後に贈られた花束をその奏者に向かって投げたところ、かれはホルンの朝顔の部分で上手に受け止めていっそう拍手喝采を浴びた。あとで聞いたところでは、前日の演奏を恥じて、ひと晩寝ないで猛特訓したのだという。そして、と小林は続けた。
「かれは花束を持ち帰ったその夜、突然、死んでしまったのです」
会場は水を打ったように静まった。ついで、どっと温かい吐息に包まれた。ふつうに考えれば、これから演奏しようとする曲目の解説にあたって、こうした不吉なエピソードを持ち出すのは不適切だろう。しかし、そのオーケストラのメンバーへの愛惜に促されて口に出して伝えずにはいられなかった一途さこそ、小林にふさわしい、と観衆のだれもが受け止めたのだった。今夜のオーケストラの最後列に座ったホルン奏者も苦笑していたことは言うまでもない。
周知のとおり『シェヘラザード』が題材とするのは、ペルシャの説話集『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』だ。そのバートン版では、シェヘラザード姫がシャーリアール王に向かって第五百六十三夜に語り聞かせるのが、船乗りシンドバッドの7回目の航海の模様だ。目の前の海中から突如、天にも届くほどの巨大な魚が3匹現れて、船をひと呑みにしようと口を開けたという。そして――。
「その口をのぞいてみれば、なんと、都の門よりも広く、のどは長い谷間のようではありませんか。そこで、わしらは全能の神さまに祈って、神の使徒(祝福と安泰のあらんことを!)に救いを求めました。おりから颯然と疾風が起こって、船につきあたったからたまりません。船は急に海面高く持ち上がって、海の怪物の住家である大きな岩礁に乗りあげ、たちまち胴体は板子となってこっぱ微塵に砕け、船の中のものはなにもかも海底の藻屑と消えてしまいました」(大場正史訳)
若いころにロシア海軍の艦隊勤務を経験したこともあるリムスキー=コルサコフは1888年、44歳にしてこの交響組曲の作曲に取り組んだとき、さぞや昔日の船乗りの血を騒がせたに違いない。また、小林研一郎は太平洋を望む福島県石城郡小名浜町(現・いわき市)に生まれ育ち、東日本大震災で津波被害を受けた故郷の復興を支援している。かねてオランダの音楽界との交流も深く、この海洋国家で常任指揮者をつとめたアーネム・フィルハーモニー管弦楽団と組んで2008年に録音した『シェヘラザード』のCDが手元にある。
その作曲者、指揮者、オーケストラと、すべて「海づくし」のコンビネーションで奏でられた演奏は乗りに乗って、熱帯の太陽に炙られたインド洋の波濤が眼前に彷彿とする。いやはや、楽器を扱うメンバーにとってはともすると、巨大な魚に追われてその波間に浮き沈みするシンドバッドさながらに、確かに命懸けかもしれないと思えるほどの凄まじさなのだ。
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