周 浩暉(ジョウ・ハオフイ)著『死亡通知書 暗黒者』
中国語圏のミステリ小説として
空前の成功作となったワケ
256時限目◎本
堀間ロクなな
『死亡通知書 暗黒者』(2008年)を知ったのは、このサイトの執筆仲間のジャーナリスト・黄文葦に教えられてのことだ。黄によると、中国人は「死」をタブー視する意識が強いために、日本のようにテレビのCMや新聞のチラシが葬儀・お墓の宣伝を行ったり、ましてや一般人が墓地の近隣に住んだりなどはとうてい考えられないそうだ。ならば、じゃあ、殺人事件を扱ったミステリ小説のたぐいはどうなのか、と訊ねたところ、その答えが面白かった。中国人はあくまで現実主義者で、フィクションの「死」であれば大いに楽しんでいるとの由。日本に較べるとプロのミステリ作家はずっと数少ないものの、目下「中国の東野圭吾」として人気上昇中なのが1977年江蘇省生まれの周浩暉で、その『死亡通知書』シリーズ三部作は累計120万部突破、ネットドラマ版24億回再生を記録したという。昨年には上記の第一作の日本語版も刊行されたので、わたしもさっそく手に取った次第だ。
ストーリーは現在・過去の二重構造になっている。現在の舞台は2002年晩秋の省都A市公安局で、そこに過去の未解決事件が突如よみがえってくる。1984年春に〈エウメニデス〉と名乗る者によって、現職の公安局副局長が「背任、汚職、裏社会との交際」の罪状を挙げた死亡通知書のもとに殺害され、さらに同日、廃倉庫で警察学校の男女の学生が爆死するという事件が起きた。懸命の捜査にもかかわらずなんら手がかりがつかめないまま18年が経過したいま、その〈エウメニデス〉がふたたび姿を現し、罪を犯しながら罰を免れてのうのうと暮らしている連中の処刑を宣言する。かつて犠牲となったふたりの学生の親友で龍州市の刑事隊長をつとめる主人公も捜査チームに加わって、犯人の死亡通知書を受けて立ち、その知謀に翻弄されつつも徐々に警察官僚組織をめぐる深い闇が明かされていく……。まあ、このへんでネタバレは控えておこう。
絶大な人気を博するだけあって、これでもか、と言うぐらい謎を散りばめたミステリの大伽藍が聳え立つさまはなかなか壮観だ。しかし、わたしには大仕掛けの度が過ぎていかにも絵空事と感じられてしまうのも、黄が指摘したとおり、中国人の嗜好に沿ってフィクションの「死」と割り切ったゲーム感覚で構築されているからに違いない。リアリズムの観点を持ち込むのが見当外れなのだと反芻しながら読み進めるうちに、ふと気づいた。ここには社会状況をめぐってありあまるほどの描写が氾濫している反面で、当然、記述されてしかるべきはずなのにまったく触れられていないことがある、と――。そう、「党」の存在が一切抹消されているのだ。
中国の警察官僚組織の闇を分け入っていくのに、「党」を抜きにして記述することは現実にはありえないから、おそらくは出版事情を踏まえて、ここもあくまで虚構が前提とされているわけだろう。そんなつもりで行間に目凝らしてみると、なるほど興味深い。ギリシア神話の復讐の女神を名乗る犯人が初めて出現した1984年とは、鄧小平指導体制のもとで胡耀邦総書記を中心に改革開放路線が推し進められ、作中に警察学校の若い世代の闊達な雰囲気が描かれるように民主化の気運も盛り上がっている時期だった。ところが、やがて胡が失脚して事態が暗転し、天安門広場での武力による弾圧へと雪崩れ込んでいくなかで〈エウメニデス〉も姿を消す。それがふたたび行動を起こした2002年とは、胡錦涛総書記に就任して、前年にWTO(世界貿易機関)に加盟した中国が「世界の工場」として経済大国の階梯に踏み出し、それにともなって新たな社会的矛盾が露呈したタイミングであり、双方のあいだの18年間の空白が中国人の読者にとっては絶妙の隠し味となっているのではないか。
復活した〈エウメニデス〉が、ネット上で行った「死刑募集」の文言はきわめて意味深長だ。
「この目を開くとそのたび、この世界が多くの汚れた魂を抱えているのを見せられる。(中略)死んでほしいと思う人間はいるだろうか。この世界に生きている資格がないと思っても、その人間に制裁を加えることができない。その人間の前で正義は絶望的に脆弱だ。であれば名前を書いてほしい。その人間がなにをしたかを教えてくれれば、わたしが判決を下す」(稲村文吾訳)
中国の一党支配体制はつねに汚職や腐敗の問題を孕むだけに、〈エウメニデス〉の不穏な正義感はきっとだれの胸中にもいくばくか巣食っているのに違いない。しかし、実際にもしこんな告知をネット上に公開しようものなら、たちまち当局に削除され、場合によっては厳罰にも処されかねないのではないか。すなわち、現実とは無関係なフィクションの「死」を扱った物語のエピソードだから大っぴらにまかり通り、読者もそれを前提として気兼ねなく正義感の悪徳を味わえる仕組みとなっている。こうして『死亡通知書 暗黒者』は、そこに書かれていることばかりでなく書かれていないことまでの広がりのもとで中国語圏ミステリ小説として空前の成功を収めたのだろう。
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