プッチーニ作曲『蝶々夫人』

ある晴れた日に
蝶々さんが目撃したのは


263時限目◎音楽



堀間ロクなな


 『蝶々夫人』というオペラが苦手だ。いや、それは正確な言い方ではない。ジャコモ・プッチーニが作曲した、深い哀調を滲ませながら、感情のさざなみがやがて大きなうねりとなって迫ってくる音楽の怒涛には圧倒されて言葉もない。ところが、そこに舞台の視覚的な要素が重なったとたん、ぶち壊しとなり、めくるめく白日夢がただのどんちゃん騒ぎに一変してしまう。理由は明白で、そこがいかにもステレオタイプの日本情緒てんこ盛りの世界だからだ。



 『ラ・ボエーム』や『トスカ』などの成功によりイタリア・オペラ界の頂点に駆け上がったプッチーニの、満を持しての新作『蝶々夫人』は1904年2月にミラノ・スカラ座で初演された。ときあたかもヨーロッパをジャポニズムの流行が席巻していたばかりでなく、幕末の開国から半世紀を経た日本が大国ロシアとの戦争に踏み切ろうとするタイミングで、いわば世界じゅうが関心を向けるさなかでのことだった。プロモーションに長けた作曲家は、作中に『宮さん宮さん』『お江戸日本橋』『越後獅子』などの旋律もふんだんに取り込んでいる。



 紀州徳川家16代当主でクラシック音楽の愛好家だった徳川頼貞侯は、ローマでプッチーニと面談した思い出を著書『薈庭(わいてい)楽話』(1941年)に書き残している。それによると、当時、プッチーニが実際に日本を訪れて取材したという噂が流れていたのを本人はきっぱりと否定して、『宮さん宮さん』以下の楽譜は日本公使から贈られたものだと明かし、「日本は美しい国、夢のような国であると聞いているので一度は行ってみたい」と告げたそうだから、あながち戦略的判断だけでなく、それなりの思い入れを極東の島国に持っていたのだろう。



 その思い入れは理解できるとしても、しかし、しょせん遠く離れたヨーロッパでイメージされたファンタジーであり、これを実際の舞台にかけたときには、大柄なソプラノ歌手がだらしなく着物をまとって身もだえし、奇態な神主が乱舞しながら「イザナギ、イザナミ」と祝詞をあげるといったありさまで、とうてい正視に堪えず、音楽のもたらす感興がたちまち蒸発していく。だからと言って、日本人のキャストと演出家を起用してリアリズムを打ち出そうとすると、いまさらお涙頂戴の新派劇を見させられるかのようでやはりいたたまれなくなる。



 結局、文明開化の長崎を舞台として、没落士族の娘で純真な蝶々さんが、アメリカの海軍士官ピンカートンの現地妻となったあげく見捨てられ、愛する子どもを手放して自害するという、あまりにもベタな悲劇は、舞台を目で見るまでもない、音楽だけを耳で聞いて鑑賞するべきものなのだろう。かくして、このオペラについては過去の名盤とされるレコードで味わうのをもっぱらにしてきたところが、ごく最近のこと、わたしの安直な開き直りを粉砕するかのような、とんでもない『蝶々夫人』と出くわしてしまった。



 それはイギリスのグライドボーンで2018年に行われた公演のライヴ映像で、女性演出家アンニリース・ミスキモンが中心となってつくりあげたもの。その演出に度肝を抜かれた。長崎という場所は同じだが、なんと時代設定を明治から昭和の太平洋戦争直後へと移したのだ。これにともなって、蝶々さん(オルガ・ブズィオク)は結婚式では和服姿ながら、所帯を持ってからは洋装で颯爽と動きまわり、一方のピンカートン(ジョシュア・ゲレーロ)はといえば進駐軍のいなせな将校といった風体で軽薄このうえない。そして、第2幕の早々に蝶々さんのうたう有名なアリアがはじまって、わたしは総毛立った。



  Un bel di, vedremo

  levarsi un fil di fumo sull’estremo

  confin del mare.


  ある晴れた日に

  水平線を眺めていると

  海の上にひと筋の白い煙が見えてくる……



 自分のもとを去った男の帰りを待ちわびての切々たる絶唱だが、この舞台の蝶々さんは、ある晴れた日の水平線に、ピンカートンが乗務しているはずの軍艦どころか、もっと禍々しいものを目撃したのではなかったか。長崎の地に原爆を投下するためにやってきたB29が吐く飛行機雲を――。



 果たして、それが演出家たちの真意であったかどうかは知らない。だが、日本人であればこの舞台を目の前にして、だれだって戦慄しないではいられないだろう。永遠に。わたしはようやく、プッチーニが描きだした「美しい国、夢のような国」の悲劇は、ひとりピンカートンの愚かさによるものではなく、人類が積み重ねてきた愚行の歴史が引き起こしたものであることを悟ったのだ。


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍