カンパネラ監督『瞳の奥の秘密』
われわれの瞳には
孤独と苦痛の色合いがふさわしい
264時限目◎映画
堀間ロクなな
年明けに受けた人間ドックで右目に異状が見つかり、あらためて精密検査を行ったところ初期の緑内障と診断が下された。とくに自覚症状はなかったのだけれど、何らかの原因により眼圧が上昇して視神経を圧迫して損なうという病気で、そのまま放置しておくと失明に至る恐れもあるそうだ。
「瞳が語るのさ」
思いもかけない現実に直面して、わたしの脳裡を駆けめぐったのは、フアン・ホセ・カンパネラ監督のミステリー映画『瞳の奥の秘密』(2009年)で主人公が口にしたセリフだ。
刑事裁判所を退職して久しい元調査官ベンハミン(リカルド・ダリン)は、かつての上司の女性検事イレーネ(ソレダ・ビジャミル)のもとを訪れて、みずからが捜査に携わった殺人事件をもとに小説を書きはじめたので意見がほしいと告げる。こうして現在と過去が交錯しながら、アルゼンチンの混迷の現代史を背景に異常なドラマが幕を開けるのだが、もっぱら登場人物たちの「瞳」によって綴られていくのがめざましい。そこから、われわれの視覚というものに秘められた魔性が浮かびあがってくるのだ。
25年前の夏、暴行されたあげく全身を切り刻まれた女教師の死体の見開いた両目の瞳。部屋に残されたアルバムの写真のなかで、彼女に剣呑な視線を送る幼馴染みの男の瞳。その容疑者を追跡しようと、被害者の夫が銀行の仕事を終えたあとに夜な夜な鉄道の駅へ出かけてあたりを見張っている瞳。一方、ベンハミンとアル中の同僚が違法まがいの捜査で捕らえた容疑者が、取調室でイレーネの豊満な胸元にまといつかせる瞳。そうと察して、相手を「このチンポコ野郎!」と挑発して女教師殺害の自供へと追い込むイレーネの瞳。しかし、裁判で終身刑が宣告されながら社会の腐敗によって犯人の男が釈放されると、ベンハミンへの復讐の身代わりとなって死んだアル中の同僚の瞳。裁判所を辞したベンハミンが、ブエノスアイレス駅で列車の窓越しにイレーネと別れるときのふたりのもつれあう瞳……。それらの瞳はいずれも、とめどない孤独と苦痛の色合いを湛えていた。
さらに、もうひとり。つねに周囲の風向きを窺いながら、おのれの保身のためには同僚や部下の努力も平気で覆してしまう、厚顔無恥の判事補。ついには殺人犯を刑務所から解き放って憚らない、そのガラス玉のような瞳もやはり深い陰りを宿していた。どうやら善悪の別なく、人生の春秋を重ねてきた者の瞳はおしなべて孤独と苦痛を映しだすのがふさわしいらしい。
「忘れるべきだ、絶対に!」
すべてが遠い過去へと押し流されたはずのいま、ベンハミンが事件にまつわる小説を書きだしたことで、当時の関係者がふたたび接点を持つ羽目になり、女教師の夫は眼前に現れた初老の元調査官に向かってそう言い放った。思い出に惑わされてはいけない、すべてを忘れることが大切だ――、物狂おしい瞳でそう言い募る夫が、果たしてどのような決断をしたのか、クライマックスは明かさないでおこう。初めてその場面を観たときには開いた口がふさがらず、およそ本人の強弁する忘却の境地からかけ離れた結末だったことは言うまでもない。
こうして人間はだれしも、みずから目の当たりにした現実を逃れようもなく、ひとつひとつの記憶を眼球に溜め込んでいくうちに、ともすると内圧が増して緑内障を発症させることもあるのではないか?
臆病なわたしは、これまで視力を失う事態を想像しただけで、文字どおり目の前が真っ暗になるような恐怖を覚えたものだけれど、いざ病名が示されてみると開き直った気分になれたのはわれながら意外だった。医師の説明では、すでに損傷を受けた視神経は修復できなくとも、眼圧を下げる点眼薬の使用によって進行を抑えられるそうだから、そう深刻に受け止める必要はないのかもしれない。これから毎日一滴の目薬を欠かさないかぎり、わたしの瞳もまた、ずっと孤独と苦痛の色合いを湛えていくのだろう。
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