『仰げば尊し』

どうしてここまで
心を揺さぶられるのか


266時限目◎音楽



堀間ロクなな


 コロナ禍のせいでさまざまな行事が中止されるなか、わたしにとって痛恨なのは小学校の卒業式の『仰げば尊し』を耳にできなくなったことだ。この歌には、どうしたわけか条件反射のように心を揺さぶられてしまう。あるときなど、外まわりの仕事で駆けずりまわっていたら、合唱の歌声が聞こえてくるなり足がぴたりと止まり、生徒たちが卒業式の練習をしているのだろう、向かいの小学校のフェンスにしがみついて涙をこぼしたものだ。そして、ふと背後の気配に振り返ると、あからさまに剣呑な眼差しを浴びせてくる近所の住人の姿があって……。



 こうした不審者まがいの行動を取ってしまうのも、もう半世紀前、自分自身の小学校の卒業式の光景がこの歌とともによみがえってくるからだろう。恩師やクラスメートとの涙ながらの甘酸っぱい別れ。そればかりではない、すでにして世の中のリアリズムの一端を味わったことも思い出となっている。



 母校である東京都小平市の第七小学校は、低所得者向けの都営住宅群と高所得者が住む戸建て住宅街のはざまに立地していたから、教室には姿かたちも立ち居振る舞いもずいぶんと差のある生徒が混在していた。が、まあ、子どもながらにおたがい分をわきまえて調和を保っていたように思う。ただし、例外がひとりいた。われわれ都営住宅グループのなかでもとくに粗末な身なりの女子がいて、その父親がリヤカーを引いて廃品回収の仕事をするのをみんな知っていたため、彼女に対してもまるでゴミかのようにからかったものの、当人はニヤニヤしているのがかえって気味悪かった。クラスの男子と女子を分けてそれぞれ身長の順に並ぶと、わたしはたいがい彼女と同じ順だったせいで、運動会ではダンスの相手を組まされるはめになり、両手をつないでの練習のあとにはことさら大袈裟に手洗いして身の潔白をアピールしたものだ。



 ところが、である。いよいよ卒業という年に行われた市議会議員選挙に突如、彼女の父親が立候補して、「草の根の声を市議会に」の幟をリヤカーにくくりつけて運動した結果、なんと当選してしまったのだ。かくして、晴れの卒業式でPTAを代表して祝辞を述べる役はその父親となり、彼女はといえば、当日の朝、目の覚めるような純白のドレスをまとって教室に現れ、あでやかな微笑を振り撒くありさまに、われわれ悪童どもは言葉もなかった。まったく世の中は摩訶不思議な仕組みで成り立っているらしい、とつくづく骨身に染みた体験も、この歌とともによみがえってくるのである。



 仰げば 尊し 我が師の恩

 教の庭にも はや幾年

 思えば いと疾し この年月

 今こそ 別れめ いざさらば



 卒業式の歌声が聞かれなくなったいま、わたしにとって重宝なのは『仰げば尊しのすべて』(キングレコード)というCDだ。ここにはなんと、『仰げば尊し』ばかり21種、計70分以上が収録されていて、いくらなんでも辟易するだろうとの懸念もものかわ、古くは1931年に東京・櫻田小学校の児童がうたった記録から、最近のアノイテッド・マス・クワイヤーという総勢1000名のグループによるゴスペル風アレンジまで、それぞれに固有の価値があり、ひたすら落涙を誘われて飽きることがなかった。とはいえ、各種バージョンを前にしても、やはり子どもたちの素朴な歌声がいちばん琴線に触れたのは当然だ。



 のみならず、このCDには52ページの冊子が付属している。実は、明治時代の『小学唱歌集第三編』(1884年)にお目見えした『仰げば尊し』がどのような由来の歌なのか、長らく謎だったという。そのルーツを近年ついに解明した櫻井雅人(一橋大学名誉教授)が原稿を寄せて、アメリカで1871年に刊行された『ソング・エコー』という教材用の創作歌集のなかの、作曲H.N.D/作詞T.H.ブロズナン『SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL』がオリジナルであることを突き止めるまでの報告は、まるでミステリー小説のようにわくわくさせられる(もちろん、この原曲の再現もCDに入っている)。



 また、そのあとの有本真紀(立教大学教授)の論考によると、もともと明治時代初期の小学校には卒業式がなく、したがって『仰げば尊し』もほとんどうたわれず、大正時代以降、尋常小学校の6年制義務教育が完全実施されるにつれて普及していったという。さらには、太平洋戦争の敗戦後、木下恵介監督の映画『二十四の瞳』(1954年)ではメインテーマ曲となり、壺井栄の原作にはない卒業式のシーンで大石先生と生徒たちのふれあいを象徴して使われて以来、広く「感動調達装置」として働くようになった経緯が記述される。それは同時に、わたしがいつまでもこの歌に心揺さぶられずにはいられない事情も解き明かしてくれるものだった。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍