『ニューヨーク・タイムズが報じた100人の死亡記事』

ここに選ばれた
日本人の2名はだれ?


271時限目◎本



堀間ロクなな


 わたしにとって朝のトイレ・タイムは貴重な読書時間なのだが、そこでの本の選択がなかなか難しい。どうしたって限られた時間内のことだから、文章がえんえんと連なっていくのはふさわしくない。毎回読み切れるだけの分量で完結し、かつ、しばらくの期間を楽しめるように連作形式となっているのが望ましい。そうした条件のもとで最近大きな満足を与えてくれたのが、ウィリアム・マクドナルド編『ニューヨーク・タイムズが報じた100人の死亡記事』(河出書房新社 2020年)だ。



 これは、『ニューヨーク・タイムズ』が1851年の創刊以来、1万本以上におよぶ死亡記事のうち322本をピックアップした『BOOK OF THE DEAD』から、さらに日本人読者向けに100本をセレクトしたもの。当然ながら人物ごとに長短はあるものの、平均して単行本2段組みで5ページほどだからトイレ・タイムにはまことに適切な分量で、毎朝のひととき、あたかもタイム・スリップしたような気分で近現代史のメルクマールたちの足跡に触れるのは、なかなかエキサイティングな経験だった。



 ここに並んだ名前は、古くは、エイブラハム・リンカーン(1865年4月没)、チャールズ・ディケンズ(1870年6月没)、リヒャルト・ワーグナー(1883年2月没)、カール・マルクス(1883年3月没)、オットー・フォン・ビスマルク(1898年7月没)から、近くは、エリザベス・テイラー(2011年3月没)、ウサマ・ビン・ラディン(2011年5月没)、スティーヴ・ジョブズ(2011年10月没)、ニール・アームストロング(2012年8月没)、ネルソン・マンデラ(2013年12月没)、モハメド・アリ(2016年6月没)まで。



 そして、日本人は2名が選ばれている(オリジナルの322本においても同様)。さて、その人物とは?



【以下に少々スペースを空けましたので、よろしければしばらく答えを考えてみてください】






















 答えは、「裕仁」と「黒澤明」である。さっそく記事を読んでみよう。まず、裕仁こと昭和天皇(1989年1月7日没)から――。



 第二次世界大戦の参戦国の指導者のうち最後の生存者であり、日本史上最も長く在位した君主、裕仁天皇が皇居で死去した。八七歳だった。(中略)

 裕仁が即位した時代は、臣下と臣民は、彼を天照大御神の子孫として敬った。天照大御神は太陽の女神で、日本の神話によると、神が振り回した鉾からしたたり落ちた水滴で日本列島が創られた。この神話を利用した軍国主義のプロパガンダにより、二〇〇万人以上の兵士が天皇の名の下に命を落とした。

 しかし一九四五年八月一五日、神話は砕け散った。その日、臣民は天皇の肉声を初めて聞いた。人々はラジオの前で、裕仁が日本の降伏を宣言し、「耐え難きを耐え」て新しい時代に踏み出さんと語る声に耳を傾けた。その五カ月後、もう一つの伝統が崩壊した。裕仁は国民に向けて、主権は人民にあり、天皇はもはや神ではないと宣言したのだ。

 (矢羽野薫訳)



 どうだろう? われわれが昭和天皇という存在を眺めるときとは、ずいぶんニュアンスが異なるようだ。かつて太平洋をはさんで人類史上最も凄惨な殺戮戦が行われ、その後には他に例を見ないほど緊密な紐帯を結んだ相手の、極東の島国の元首に対して、アメリカ人は昭和の終焉にあたってもなおどこか神秘的な、謎めいた感触を抱いていたらしい。



 ついで、黒澤明(1998年9月6日没)を――。



 映画界が生んだ数少ない真に重要な監督の一人となり、世界にとって日本映画の代名詞だった黒澤明が昨日、東京の自宅で死去した。八八歳だった。(中略)

 『羅生門』が欧米で公開された一九五一年当時、日本映画は海外でほとんど知られていなかった。そんな状況を一夜で変えたのが、人の話の不確かさと裏切りを考察し、観客の心をつかんだ『羅生門』だった。強姦と殺人について盗賊と貴婦人と貴婦人の殺された夫の亡霊と木こりが証言するのだが、話は食いちがう。「みな嘘をついてでも自分は実際よりもいい人間なのだと思いこまなければ生きていけないのだ」と、黒澤は説明した。(中略)

 背が高く骨太で、労働者のような肉厚で力強い手と――ときには非常に厳格にもなる――大学教授の風貌をしていた。仕事仲間は彼を「黒澤天皇」の愛称で呼んだが、そこに込められるのは親しみとは限らなかった。

 (雨海弘美訳)



 すなわち、日本の精神風土の謎めいた感触をめぐって、かれらに解き明かすヒントを与えたのがもうひとりの「天皇」だったというわけだ。記事中に引用された黒澤の発言が、昭和天皇のものだったとしてもおかしくはないだろう。『ニューヨーク・タイムズ』の編者が日米関係史のメルクマールとして、この両人を選びだしたのにはレッキとした根拠があったのだ。


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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍