石田英敬/東浩紀 著『新記号論』

新型コロナウイルスとは
人類初の共通の言葉かもしれない


301時限目◎本



堀間ロクなな


 思うに、「新型コロナウイルス」という言葉は、新たに登場して最も短期間のうちに世界の隅々まで普及した言葉ではないだろうか。中国・武漢からはじまってわずか数カ月で、おそらく地球上のあらゆる人類の生息域を席巻し、われわれの日々の生き方を左右する超弩級のキイワードとして受け入れられるに至った。そして、いまはまた、この言葉に対峙するかたちで、「ワクチン」という言葉も普遍的なキイワードとして世界じゅうを駆けめぐっているところだ。



 見方によっては信じがたい事態ではないか。言葉とは、それぞれの言語圏にあって歴史や宗教、文化などに深く根差したもので、そこから切り離れてひとり歩きすることはない。たとえば、すべての人間に切実な「お金」という言葉にしたって、それぞれの言語圏ごとにニュアンスがかなり異なることを考えると、いくら強大な脅威を前にしたとしても、「新型コロナウイルス」という言葉が言語圏の壁を乗り越えてまたたく間に流布したのは奇観と言うほかない。なぜ、こうしたことが可能だったのか?



 そこで思い起こしたのが、『新記号論』(2019年)の議論だった。これはメディア情報学者の石田英敬(東京大学名誉教授)を、東浩紀が主宰するゲンロンカフェに招いて、2017年に「一般文字学は可能か――記号論と脳科学の新しい展開をめぐって」と題して行った連続講義をまとめたものだ。したがって、新型コロナウイルスが出現する以前なのだが、わたしはいまにして、そこでの議論と現在の世界状況とのあいだにただならぬ符合を見出して驚嘆してしまう。



 石田と東の対話は、20世紀後半のデジタルメディア革命がもたらした、今日の金融資本主義、ソーシャルネットワーク、人工知能の時代にふさわしく、旧来の人文学をアップデートさせようという企図のもとに進められていく。急いでつけ加えると、その高度なネットワーキングで結びつけられた時代が新型コロナウイルスという感染症を生みだしたことにも留意したい。そこから石田は情報記号論を提唱して、ふたつの論点をクローズアップさせる。ひとつは、現在のテクノロジーが用いる文字は、これまでの活字と違って、われわれ人間には読めなくなったことに注意を促して、「人間は機械の文字を読み書きすることができないが、その認知のギャップこそが人間の知覚を統合し、人間の意識をつくり出すという話をしました。ぼくたちはこの『技術的無意識の時代』において見えないものを見て、意識の成立以前に聞こえるものを聞いて生活しているわけです」と指摘する。そして、こうした状況に即応して、もうひとつの一般文字学の論点が現われてくるという。



 「世界中には漢字、ひらがな、ハングル、アルファベット、キリル文字など、さまざまな文字種が存在します。これらはいっけん、まったく異なるかたちをしているように見える。だから、それぞれの文字種はランダムに存在しているように思えます。ところがそうではないのです。神経科学や認知科学の研究の最新知見では、すべての人間は、同じ文字を読み書きしているということが有力な仮説となっています」



 すなわち、人間が文字として使っているかたちは、自然界を認知するときに視覚に現れる事物のかたちと重なって有限であり、その基本パターンは、十とX、卜とTが同一のように、ごくかぎられていて(視覚認知科学者マーク・チャンギージーによれば36種)、しかも基本パターンの出現頻度はどの言語圏の文字でも、自然界の事物でもおおむね一致するらしい。これを敷衍すれば、人間の読み書きにはもともと共通する仕組みのあったところ、21世紀の高度なネットワーキング社会の到来を迎えてそれがはっきりと浮かび上がってきたのと、自然界の歴史を通じて局所的に発生してきたウイルスが、新型コロナウイルスに至ってあっという間に地球全体を包み込んでしまったのとは表裏をなすものだった。つまり、新型コロナウイルスとは人類が初めて手にした共通の言葉、とまで言ったら牽強付会が過ぎるだろうか?



 こうした石田の問題提起を受けて、東はこう応じている。



 「もしこの研究が正しいのだとすると、たしかに火星人から見たら(火星人がいたとして)、地球人はみな同じタイプの文字を使っているように見えるかもしれない。そしてそれは地球の風景と同じかたちの分布のように見えるのかもしれない」



 いまから120年ほど前に、H・G・ウェルズは火星人の襲来をテーマとした『宇宙戦争』(1898年)を発表した。それまでたがいに争っていた世界が人類絶滅の危機に瀕して、初めて「火星人」という共通の言葉のもとでひとつになって立ち向かう(結局、火星人を打ち負かしたのはかれらが免疫を持たない病原菌だったけれども)。なるほど、このSF小説の古典が描いてみせた人類の壮大なドラマが、目下、「新型コロナウイルス」という言葉のもとで起きている事態なのかもしれない。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍