今村昌平 監督『復讐するは我にあり』
スポーツを
殺人事件になぞらえたら
309時限目◎映画
堀間ロクなな
東京オリンピックのテレビ中継を眺めながら、いずれの競技種目でも日本選手が男女を問わず清潔感にあふれ、まるでグラビアモデルのように垢抜けているのに感嘆したのはわたしだけではないだろう。
遠い記憶をたぐり寄せれば、前回の東京オリンピックのときの選手たちは血と涙と汗にまみれて這い上がってきた雰囲気が、ブラウン管をとおしても伝わってきた。なかには、この試合に生き死にを賭けているとありありわかる姿もあって、こちらも息苦しくなるほどだった。そうした濃厚な体臭をまとっていた当時と較べると、いまの液晶画面に映し出される選手たちはすっかり洗練されて別の人種になった感があるのを、一体、どう受け止めたらいいのだろう?
今村昌平監督の『復讐するは我にあり』(1979年)を久しぶりに観た。この作品が劇場公開されたのはわたしが大学生のころだったが、飽食の時代にただならぬ反響を呼び起こしたことを覚えている。いまにして振り返ると、現実の殺人事件を赤裸々に再現して、犯罪者の心の闇の奥底に迫っていくというタイプの映画の先駆けであり、この作品自体が社会的な事件だった。ファーストシーンは、1964年1月4日。つまり前回の東京オリンピックが開催された年の正月に、連続殺人犯の榎津巌(緒形拳)が逮捕されてパトカーで警察署へ向かうところからはじまる。78日間におよぶ逃亡の果てのことだった。
巌は長崎・五島列島に生まれ、熱心なカトリック信者の父・鎮雄(三国連太郎)のもとで育つが、幼少期から非行を繰り返して戦時中を少年刑務所で過ごす。戦後には進駐軍に取り入って狼藉を働き、顔見知りの加津子(倍賞美津子)を犯して妊娠させ、そのせいで結婚することに。やがて温泉旅館の実家を飛び出した巌は、わずかな金銭を盗むため専売公社の集金人2人を殺したのを皮切りに、警察の指名手配をものともせず、大学教授などと偽って各地を転々としながら、東京で高齢の弁護士、浜松では旅館の女将・ハル(小川真由美)と母親を殺して、計5人の生命を奪う。とくにハルは巌と初対面でからだを重ねてから一途に愛し抜き、その正体を知っても動じることなく、ついにはかれの子を胎内に宿して、いつものようにじゃれあっているうち首を絞められて理不尽な最期を遂げた。
これをヴァイタリティと言っていいのだろうか。巌やハルばかりではない。かれが実家に寄りつかなくなったあと、義父の鎮雄と嫁の加津子がいっしょに湯につかり、顔をそむけていたふたりが、やがて加津子のほうから鎮雄の背中を流しはじめ、相手の手を導いて自分の乳房を鷲づかみにさせる……。わたしは初めてこの情景を目にしたときの衝撃がいまでもよみがえり、ひそかに日本映画史上、最もエロティックなシーンではないかとさえ思っている。ことほどさように、作中の登場人物はすべて自分でも抑えられないほどの強烈な体臭を放っているのだ。
「やったオレにもわからん」
警察の取り調べでハルを殺した動機を追及された巌が、最後に洩らす言葉だ。おそらくは率直な告白だったろう。東京オリンピックの開催に向けて、東海道新幹線が開通し、都内では高速道路や高層ホテルがひしめきあい、また、世間の人々は3C(カラーテレビ、クーラー、カー)を新三種の神器として崇め、老若男女のだれしもが欲望の渦中にあって、まさに日本じゅう盛んに体臭を発散させているかのような状況こそが、この凶悪犯罪を引き起こしたのかもしれなかった。
スポーツを殺人事件になぞらえるのは憚られるけれど、ごくざっくりと要約してしまえば、前回の東京オリンピックに出場した日本選手たちには、やはり熱に浮かされたような生々しい存在感において、この映画が描いた人間どもと通じるところがあったように思う。当時は厳格なアマチュア規定のもと、アスリートはオリンピックで活躍してもなんら経済的な見返りがない一方で、ひたすら「日の丸」の重圧にさらされるという、いまでは想像を絶する過酷な条件下での出場だったはずだ。その動機を尋ねられたら、結局のところ「やったオレにもわからん」ではなかったろうか。
約60年の歳月を隔て、日本選手たちにとって試合は「敵との戦い」というより「パフォーマンス」の舞台となり、血と涙と汗の過剰な暑苦しさは拭い去られ、清々しく競技に専心できるのは幸いなことだろう。その反面で、開会式の直前になって大会組織委員会スタッフらの、女性の容姿や過去のいじめ・暴行、ユダヤ人虐殺などに関する言動が問題化して世界を唖然とさせたことは、日本のスポーツを取り巻く体臭がすっかり希薄になったぶん、人間の存在感そのものへの手触りも失われたことの反映だろう。もしこれを軽佻浮薄と呼ぶなら、軽佻浮薄の風潮はさらに続いていくのに違いない。
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