シベリウス作曲『水滴』

そこから豊饒な
大河の流れがはじまった


314時限目◎音楽



堀間ロクなな


 わたしにとって最も親しい河川といえば多摩川である。10代の6年間を通った中・高一貫の男子校は校歌で、多摩川の岸辺にあって富士山を望むという風光をうたっていたし、実際、そこで所属していたバレーボール部ではしょっちゅう多摩川沿いをランニングしたものだ。あのとき胸を吹き抜けた風と水の匂いはいまも忘れない。卒業してからもずっと、あちらこちら転々としつつ、結局は多摩川の河岸段丘として形成された風土で暮らして今日に至っているのだから、わたしにとっての「母なる川」なのだろう。



 この多摩川は、山梨県の笠取山の山頂直下に位置する「水干(みずひ)」を源としている。そこでは岩肌や草の葉先から水滴がこぼれ落ちて、いったん地面に染み込んだあとに湧きだして小さな流れとなり、それらが寄り集まって少しずつ川が成長していくという。妙なるルーツを訪ねてやってくる観光客も多いようだ。残念ながら実見におよんだ経験のないわたしも、始原の雫がひとつ、ふたつと落ちていく神秘的な光景が目の前に浮かぶことがある、たとえばシベリウス作曲の『水滴』に接したときなどに――。



 ジャン・シベリウスは1865年、帝政ロシアの支配下にあったフィンランドのハメーンリンナに生まれた。クラシック音楽の中心からは遠く離れた辺境の地で、おそらくはそうした地理的条件のゆえだろう、あまりにも厳しい態度で作曲活動に立ち向かったことで知られる。と同時に、もうひとつ音楽史上で特筆されるべきは、かれが91歳の生涯をまっとうしたことで、歴史に名前を刻んだ作曲家としてはいまだに長寿記録だろう。それもとくに頑健な身体に恵まれたわけではないどころか、終生おびただしいアルコールと煙草を手放せず、そのために喉頭がんの手術も受けるはめになったという試練を経てのことだから只者ではない、その風貌を眺めても北欧神話の巨人のようなオーラが窺われるのだ。



 そんなシベリウスが10代でつくった最初の作品とされるのが『水滴』だ。ヴァイオリンとチェロのデュオによる24小節の小品は、作曲家と弟がそれぞれの弦楽器をいっしょに練習するためのものだったようで、とくにヴァイオリンのピツィカートが描く水滴のひとつ、ふたつと落ちていく描写は微笑ましい。この可憐な小品からシベリウスの作曲活動がはじまり、やがて国家の独立をめざす気運の高まりのなかで、フィンランドの民族叙事詩にもとづく劇音楽や、ロシア政府をおののかせた『フィンランディア』などの音詩、さらにはそうした世俗の世界を離れ、音の世界を突きつめた抽象画のような七つの交響曲が誕生する大河となっていった。こう考えると、手元のCDでは演奏時間45秒ほどの『水滴』が秘めていた豊饒な可能性にめまいを覚えるほどだ。



 シベリウスがまとまった作品として最後に世に送りだしたのは1926年、ニューヨーク交響楽団の委嘱にもとづく交響詩『タピオラ』だ。このときまだ60歳だったから、以後、実に30年以上にわたって新作が発表されることはなく、かれがアイノラと名づけた田舎家で隠棲していた土地にちなみ、世界じゅうのファンは「ヤルヴェンパーの沈黙」と呼んで惜しんだ。だが、シベリウスは長大な晩年をただ手をこまねいて過ごしたのではなく、全身全霊を賭して新たな『交響曲第8番』の制作に立ち向かっていた。そして、生涯の伴侶だった夫人はこんな証言を残している。



 「一九四〇年代、アイノラでは大規模な『火刑』が行われました。夫が洗濯かごにたくさんの自筆譜をかき集めて、居間の暖炉に焼(く)べ始めたのです。(中略)私はその恐ろしい光景に目を向けることができず、部屋を立ち去りました。だから、夫が何の楽譜を焼いたのか、よく分かりません。でも、それから夫の表情は落ち着くようになり、気持ちも明るくなったのです。それはとても幸せな一時でした」(神部智訳)



 このとき焼却された作品は不明にせよ、『交響曲第8番』も同様の運命を辿ったのは間違いない。20世紀のシンフォニストのなかでも孤高の存在だけに、われわれのもとに残された七つの交響曲の先に、果たしてどんな音の世界を展望していたのかは興味深く、その答えが永遠に煙と化したことは人類の損失といえるだろう。しかし、作品とは必ずしも形をなしたものばかりではない、ときには形をなさなくとも偉大な作品がありうるのではないか。そうした結末こそ、ほんの小さな『水滴』から出発して北欧神話の巨人を思わせる作曲家には、むしろふさわしかったと思う。



 シベリウスの作品が伝えてくる冷たく透き通って結晶した風光と、温暖な島国の湿気を含んだ風光とはあまりにも隔たったものだ。しかし、その決して淀むことのない音楽は、わたしにとっての「母なる川」が最初の一滴からはじまって、全長138キロの流れを辿ったのちに、ついには東京湾に注ぎ込んで無辺の太平洋とひとつになっていく光景にも重なって聴こえるのである……。

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍