萩尾望都 著『バルバラ異界』

少女とは
怪物の異名ではないか


358時限目◎本



堀間ロクなな


 少女とは怪物の異名ではないか、と思うことがある。



 たとえば、こんなストーリーに出会った場合だ。21世紀中葉の東京で、15歳の少女・十条青羽(アオバ)がえんえんと夢を見ている。7年前に母親が父親を殺して自死するという事件が起き、幼い彼女は両親の心臓を取り出して食べてからずっと眠り続けているのだ。夢のなかで、青羽はバルバラの島に住んで空を飛びまわったり仲間とじゃれあったりして過ごしているのだが、そこは世界の中心で、島の外では地球人と火星人が勝敗のつかない激しい戦争を繰り広げている。もともと何億年も昔に火星の海で誕生した生命体が地球に降り注いで合体したことにより、バルバラの島の住民は不老長寿となって、いまや絶滅に瀕した地球人たちはその遺伝子を手に入れようと狙っている……らしい。らしい、というのは、あまりに途方もない成り行きにわたしの月並みなアタマが追いつかないからだ。



 これは少女マンガの大御所、萩尾望都が2002~05年に発表した『バルバラ異界』の世界観で、翌年の日本SF大賞に輝いている。その後、作者は女子美術大学芸術学部の客員教授に就任する一方、少女マンガ家として初の紫綬褒章、朝日賞、文化功労者などの栄誉にも浴しているから、たとえわたしの目に支離滅裂と映ろうとも、「萩尾ワールド」は異端どころか、まさしく現代の日本文化の正統に位置づけられているのだ。



 青羽は、天蓋に被われた円形のベッドで手足を縮めて眠っている。それが胎児のメタファーなのは明白だ。すなわち、かつて母親のなかで胎児だったころから過ごしてきた未熟の年齢の終点と、みずからも母親として胎児を宿せるようになっていく成熟の年齢の起点との、生理的なベクトルのせめぎあう交点にいるのが少女であり、それを成り立たせているのが胎児という存在なのだろう。解剖学者・三木成夫は『胎児の世界』(1983年)で、人間の細胞には約1億年におよぶ海から陸への系統発生の記憶が刻みつけられ、そのプロセスが母親の胎内の個体発生によって繰り返されるありさまをつぶさに観察したうえ、胎児が羊水にたゆたいながら見ている夢について言及する。



 「こうして、細胞のもつ生命記憶の世界を共通の舞台として、胎児の世界と夢の世界とがにわかに近縁のものとなってくる。両者ともに、その記憶が、生命の奥底からむくむくと頭をもたげてくるのだ。これが『深層』とよばれるものの正体であろう。このような生命記憶の、前者が一糸乱れぬ“再現”であるとすれば、後者はいうなれば酔狂の“再燃”か。ともに、遠いかなたが、現実に翻然とよみがえってくるのである」



 この『深層』こそ、いわゆる子宮感覚なのだろう。それにしても、青羽の場合に異常なのは、彼女の野放図な子宮感覚により“再現”と“再燃”を撚り合わせた夢が自己の領域にとどまらず、まわりの人間たちを突き動かし、ひいては人類の命運の変革にまで向かおうとするところだ。



 前述したとおり萩尾望都がこの長篇作品に取り組んだ時期は、アメリカ合衆国で同時多発テロが勃発した直後にあたり、世界各地で大規模な軍隊を動員した戦闘やら、個人的な死と引き換えの自爆テロやら、ひっきりなしに大小の流血沙汰が起きている時期だった。民族・宗教の対立は、ともすると地球人と火星人さながらに通じあう言葉を持たず、とめどなく否定しあうことしかできないかのような様相を呈した。われわれの社会でこうした事件が見られなかったのは、特別に治安に優れていたわけではなく、もはや日本が世界史の主要な舞台ではなくなったことを示すものに過ぎなかったろう。それだけに、21世紀の東京で青羽の夢が開示してみせたビジョンは意表を突いて、呆気に取られるぐらい美しさと力強さを帯びて響く。



 かつて火星の海から生命体が地球にやってきた混じりあったころ、あなたはわたしで、わたしはあなたで、みんながひとつの全体で満ちていて、恐怖も飢えも孤独も知らなかった、あのころを思い出してほしい――。それだけが未来への希望だ、と彼女が告げたとき、わたしの頬にも熱い涙がぼろぼろ伝っているのだった。



 やはり、少女とは怪物の異名ではないだろうか。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍