『ラジオ体操第一』

『君が代』の次に
有名な曲と再会して


383時限目◎音楽



堀間ロクなな


 自宅から徒歩10分ほどの距離に市営のスポーツセンターがあり、そこで毎週「60歳からの筋トレ」というレッスンが行われていて、だれでも330円の料金で参加できることを最近知った。これまでこの手の情報に見向きもしなかったのに、今度ばかりは重い腰を持ち上げる気になったのは、長年放置してきた運動不足に加えて、新型コロナ禍にともなうステイホームも災いしたのだろう、いまや平坦な道を歩いていてもしょっちゅう躓くありさまで、さすがに将来の体力への不安が兆していたからだ。



 ホームページの案内には、トレーニングウエアと室内シューズさえ用意すればいいと書いてあるものの、サラリーマン生活のあいだ、およそ体育館などとは縁遠かったためになんの持ち合わせもなく、さっそくスポーツ用品店へ出向いて女性店員に勧められるままに、上から下まで「PUMA」のブランドで買い揃えた。当日は真新しいそれらを身に着けて臨んだところ、壁の姿見に映った風体がいかにもちぐはぐな着せ替え人形のようで、われながら呆れてしまった。



 集まったのは10名。そのうち男性は、奥方に引っ張りだされたらしい肥満の紳士とわたしの2名のみ。どちらも片隅に小さくなって、賑やかな女性たちのおしゃべりを眺めていた。やがて時刻が訪れて、横一列に並んだ来場者と向きあってすっくと立ったのは、こちらの年齢の半分にも満たなさそうな女性インストラクターだった。では、いつものようにラジオ体操からはじめましょう、と彼女の張りのある声が告げて、スピーカーからピアノの伴奏が流れだしたとたん目の前が曇った。われ知らず涙が湧いたのだ。



 おそらく昭和に生まれ育った者にとって、『君が代』に次いで有名な曲がこの『ラジオ体操第一』ではないだろうか。1928年(昭和3年)に国民の健康増進を目的としてNHKの放送がスタートし、1951年(昭和26年)から服部正の作になる現行の曲が使われるようになって以降、全国津々浦々の老若男女が親しんできたはずだ。



 記憶にあるのは、小学校の朝礼で先生と生徒がいっしょに呼吸を合わせて同じ動作を行った懐かしさであり、5年生のときには自分も台の上でリード役をつとめた晴れがましさであり、また、夏休みになると毎朝弟と近所の公園で開かれる会に出かけてカードにハンコをもらい(父母の実家に出かけたときにはそこでの会に参加して)1日も休まなかった褒美として竹の定規をもらったりした嬉しさだ。それやこれや、遠い昔日の思い出が次から次へとよみがえってきたのが涙の理由だったろう。



 だが、中学・高校に進み、とりわけ運動部に所属して本格的なトレーニングに取り組むようになれば、ラジオ体操など顧みなくなるのは当たり前だったし、やがて学業が終わり、サラリーマンとなってからは朝の6時半といったら出勤準備に慌ただしく呑気に体操するどころではない毎日がえんえん続いていった。したがって、この日、わたしが真新しいトレーニングウエアと室内シューズを身に着けて、まじめにラジオ体操に立ち向かったのは実に半世紀ぶりのことだった。



 それでもあのピアノが鳴り響くにつれ、にわかに全身の血が騒ぎだし、自然と手足に力が漲ってきたのは、からだの奥底に仕舞い込まれていた条件反射のせいか。ただし、かつてのようには運ばないことをすぐに察知した。頭をまわせば首がごりごりと鳴り、腕を振れば肩がぎしぎしと軋み、飛び跳ねては足がよろよろともつれる。しかし、うろたえる素振りは見せず、楽々こなせるかのように振る舞ったのは、妙齢の女性インストラクターを前にしては当然の次第であったろう……。



 再会した『ラジオ体操第一』と、これからまた新しいつきあいがはじまるのだろうか。その成り行きをいささか楽しみにしているところである。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍