フォルカー・シュレンドルフ監督『ブリキの太鼓』
じゃあ、「ナチス」とは
何を意味するのだろうか?
408時限目◎映画
堀間ロクなな
ロシアのウクライナ侵攻をめぐっては、プーチン大統領とゼレンスキー大統領がそれぞれ相手を「ナチス」と呼んで糾弾しあっている。じゃあ、「ナチス」とは何を意味するのだろうか? ファシズムの罪悪の最大のアイコンを持ちだす政治的意図はわからなくもないけれど、第二次世界大戦の終結からすでに77年の歳月が流れたいまなお、人類の現実に「ナチス」が立ちはだかっていることには戸惑ってしまう。いや、こうした感覚はヨーロッパ大陸から遠い極東の島国にいるせいで、かつて「ナチス」と地続きだった国々では、われわれには窺い知れない、まったく別の感覚が脈々と受け継がれているのかもしれない。
こんなふうに考えたのは、東西冷戦の時代に、フォルカー・シュレンドルフ監督の『ブリキの太鼓』(1979年)が「ナチス」の意外な正体を暴いてみせた記憶がよみがえったからだ。それはお祭り騒ぎである、と――。
ときは20世紀初頭、ところはポーランド領のダンツィヒ。主人公オスカルは、美貌の母親がドイツ軍の元兵士と結婚したあとも幼馴染みの従兄弟と不義を続けるという三角関係から出生したために、ポーランド人とドイツ人のいずれともつかない。異常な知能に恵まれたかれは3歳にして大人たちの醜悪さを覚ると、わざと階段から落下して成長することを止めてしまうとともに、つねにブリキの太鼓を持ち歩いては、甲高い奇声であたりのガラスを砕くという能力を身につける。オスカルがそんな日々を生きるうちにも、やがてドイツではヒットラーが独裁権力を掌握し、ポーランドにも「ナチス」の影が忍び寄ってくるのだった。
外見は幼児のままで12歳となった1936年のある日、オスカルは両親に連れられてサーカスへ出かけ、そこで小人の芸人ベブラと知りあう。かれもまた外見は幼児ながら53歳の年齢を数え、同類のオスカルに対して不敵な笑みを浮かべてこう告げる。
「ぼくらは芸を見せなければならない。でないと、あの連中がお祭りの舞台を奪ってしまうからね。松明行列をはじめたり演壇をこしらえたり。そして、大きな図体の人間をかき集めて、ぼくらのような者を滅ぼそうとするんだよ」
あの連中とは、高々と鉤十字の旗をひらめかせ、厳めしい制服を着込んでふんぞり返って闊歩する集団だ。しかし、ベブラの低い位置からの目は、かれらもしょせん自分たちと祭りの舞台を競いあう芸人でしかないことをはっきりと見抜いている。こうした洞察に突き動かされたのだろう、ダンツィヒで「ナチス」の集会が開催されると、オスカルは会場にもぐり込んで舞台の下からブリキの太鼓を轟かせる。そのとたん、威勢のいい行進曲をバックに「ジーク・ハイル」と右手を差しだしていた人波が乱れ、まなじりを決していた目つきが和らぎ、軍楽隊はおもむろに『美しく青きドナウ』のワルツを奏でだし、老若男女は手に手を取ってダンスをはじめるのだった……。
しかつめらしい粉飾を剥ぎ取ってしまえば、「ナチス」もお祭り騒ぎでしかない。むろん、それは戯画である。しかし、たんなる絵空事の戯画ではあるまい。原作者のドイツ人作家、ギュンター・グラスがこれらの作品によって1999年にノーベル文学賞を授与されたのち、最晩年に至って、第二次世界大戦中に17歳で「ナチス」の武装親衛隊に入隊した過去を公表して物議を醸したことは記憶に新しい。したがって、こうした戯画も、みずからの少年時代の実体験を強く投影して描かれたものに違いない。
だとするなら、目下、ロシアとウクライナの双方の大統領がたがいに「ナチス」と罵りあうのは、お祭り騒ぎの主導権争いを意味しているのだろう。だが、お祭り騒ぎには始まりがあり終わりがあることを幼い子どもだって知っているのに、すでにおびただしい犠牲を生みだしながら、いまだに事態の収束する見通しが立てられずにいるのはどうしたわけか。それどころか、むしろ戦火が拡大して第三次世界大戦にもつながりかねない可能性が取り沙汰されるなかで、人類がこの試練を乗り越えるためには、野蛮なお祭り騒ぎをのどかなダンスへと転換させるオスカルのブリキの太鼓が必要なのかもしれない。
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