カトリーン・マルサル著『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』

経済学者の母親の場合、
わたしの母親の場合


418時限目◎本



堀間ロクなな


 「アダム・スミスは生涯独身だった。人生のほとんどの期間を母親と一緒に暮らした。/母親が家のことをやり、いとこがお金のやりくりをした。アダム・スミスがスコットランド関税委員に任命されると、母親も一緒にエディンバラへ移り住んだ。母親は死ぬまで息子の世話をしつづけた。〔中略〕経済学が語る市場というものは、つねにもうひとつの、あまり語られない経済の上に成り立ってきた。/毎朝15キロの道のりを歩いて、家族のために薪を集めてくる11歳の少女がいる。彼女の労働は経済発展に欠かせないものだが、国の統計には記録されない。なかったことにされるのだ。国の経済活動の総量を測るGDP(国内総生産)は、この少女の労働をカウントしない。ほかにも子どもを産むこと、育てること、庭に花や野菜を植えること、家族のために食事をつくること、家で飼っている牛のミルクを搾ること、親戚のために服を縫うこと、アダム・スミスが『国富論』を執筆できるように身のまわりの世話をすること、それらはすべて経済から無視される」(高橋璃子訳)



 長めの引用となったのは、話題のフェミニスト経済学の啓蒙書、『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』(2012年)の出発点がここにわかりやすく記述されているからだ。スウェーデン出身のジャーナリスト、カトリーン・マルサルが本書を発表したのは、リーマン・ショック直後のことで、世界経済がたびたび深刻な危機を招く背景には経済学の不毛があると主張する。そこで、アダム・スミスを槍玉にあげ、かれが創始した近代経済学が女性の労働を無視し、その基礎をなす「経済人」の概念がいかに男性中心主義に毒されているかを解き明かしていくのだ。



 まさに快刀乱麻といった勢いで、わたしは目からぼろぼろとウロコの落ちる実感を味わった。しかし、著者の議論の対象が多岐にわたるにもかかわらず、いくつか重要な点が見落とされているように感じたので、それを書き留めておこう。



 まず、アダム・スミスの母親が息子のために食事をつくった件だ。これを反対側から眺めて、なぜ母親は食事をつくれたのか? と問い直してみたらどうなるだろう。いろいろな事情はあったにせよ、おそらくいちばんの理由はアダム・スミスに妻がいなかったことだ。もし妻が存在したら、たとえ母親が息子のために食事をつくりたいと願ってもおいそれと叶わなかったはずだ。嫁姑のデリケートな関係はよもや日本にかぎった話ではあるまい。



 さらにつけ加えると、かつてスポ根(スポーツ根性)漫画が流行った時期に、男の子向けでは敵とのあいだに友情が生まれ、女の子向けでは味方のチームに敵が生まれる、と評されたことを思い出す。わたしはなにも揶揄するつもりはない。女性のほうがリアリズムを血肉にして生きているせいだ。したがって、女性同士がおたがいの摩擦を回避するため、ときにノーテンキな男性を祀りあげて緩衝材としていることが、あたかも男性中心主義のように映るのではないか、と指摘したいのだ。



 また、わたしの実の母親はすでに世を去って久しいが、幼い日の記憶にあるのは、いつも絎(くけ)台をかまえて着物を縫っている姿だ。和裁の内職。それは相当の収入をもたらしたらしく、公務員の父親よりもたくさん稼ぐ、と豪語していたけれど、どうやら所得にともなう税金を免れていた事情もあったようだ。そのおかげでわたしは私立の中学、高校、大学へ進めたわけだから、もって瞑すべし。日本では男女雇用機会均等法(1985年)ができるころまでは、そんなふうに専業主婦の多くがあれこれの内職で家計を支えながら、どこにも申告せずに済ますというやり方がまかり通っていたのではないか。すなわち、家庭内の労働が経済統計にのらなかったのは、女性たちのしたたかな戦略の一面もあったのだ。



 要するに、女性は果たして日陰の立場に甘んじていたのか、という疑問だ。だからと言って、著者の主張にケチをつけるのが主旨ではない。むしろ、本書が刊行されたあとに、新型コロナのパンデミックやロシアのウクライナ侵攻をめぐって世界経済が危殆に瀕しているいま、新たな経済学の樹立は人類にとって喫緊の課題だろう。つぎに引用する結びの言葉には諸手を挙げて賛意を表したい。



 「経済への影響力こそ、フェミニズムの秘密兵器である。経済格差から人口問題、環境問題、高齢化社会における介護労働者の不足まで、あらゆる問題にフェミニズムが深く関わっている。それは単なる『女性の権利』の問題ではない。これまでのフェミニズムはまだ本来の半分までしか進んでいない。女性を加えてかき混ぜたら、次にやるべきは変化のインパクトを正しく理解し、社会と経済と政治を新たな世界に合わせて変えていくことだ。経済人に別れを告げて、もっと多様な人間のあり方を受け入れられる社会と経済をつくっていくことだ」


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍