是枝裕和 監督『海街diary』

四姉妹は神話の
登場人物のように


429時限目◎映画



堀間ロクなな


 われながら戸惑ってしまうくらいだ、是枝裕和監督の『海街diary』(2015年)が琴線に触れてくるのには。と同時に、そこに描かれた世界がたとえどれほど心惹かれるものであったとしても、自分には決して手の届かないところに成り立っていることも実感しないではいられない。



 舞台は、鎌倉の古い一軒家。もう10年あまりのあいだ、父と母に見捨てられ、長女・幸(綾瀬はるか)、次女・佳乃(長澤まさみ)、三女・千佳(夏帆)が力を合わせて暮らしてきたが、ある日、その父が出奔した先の山形の温泉地で死んだとの連絡が届く。ともかく葬儀に赴いた3人は、初めて腹違いの中学生の妹・すず(広瀬すず)と出会い、束の間の交流をきっかけに、こちらから誘っていっしょに生活する運びとなる。何も特別な事件が起きるわけではない、はじめは堅苦しかった彼女たちが少しずつ打ち解け、古都の春夏秋冬の移ろいのなかで、おたがい心を許しあって名実ともに四姉妹へと成長していくだけの物語だ。



 だけの物語? 確かに、画面に描かれるのはごく平凡な日常の些事に他ならない。しかし、わたしは考える。じゃあ、男の兄弟が3人だか4人だかでひとつ屋根の下の生活を維持していけるものだろうか、と。自分にも弟がいるけれど、まったくもってそうした光景を想像できないのである。実際、社会に出てカネを稼ぐのはもちろん、1年365日、食事や掃除・洗濯もこなし毎日を大過なくやり過ごすのにはけっこうな資質が必要で、たいていの男性には(また、少なからぬ女性にも)その手の基本条件が備わっていないのではないか。こうした観点に立つなら、見ず知らずの異母妹を迎えて、四姉妹が新たな生活を築くとは奇跡の物語とも言えるだろう。



 もっとも、それにはたんに仕事と衣食住をめぐるスキルだけでは不十分のようだ。この映画は前述のとおり、かつて彼女たちのもとを去った父の葬儀からはじまり、鎌倉の家に異母妹が訪れると仏壇にいざなったり、幼い3人を養い育てた祖母の七回忌の法要を営んだり、そこで久しぶりに再会した愛憎半ばする母と墓参りをしたり、そして、最後は近所の懇意にしていた定食屋の小母さんが亡くなり四姉妹で葬儀に参列したところで結ばれる。それだけではない、庭の梅の木が実をつけると祖母から伝わった梅酒を漬けたり、お盆の時期にはみなで浴衣を着て花火をしたり……といったエピソードも、やはりどこか宗教的な雰囲気を漂わせている。



 わたしはかねがね、お墓や仏壇、また法事に喪服をまとって参列する仕儀について、女性のほうが男性よりも熱心に見受けられるのは(もちろん、例外はあるにせよ)、ふだん各種占いのたぐいに一喜一憂する向きと重なるものと観察してきた。つまり、女性には過去から現在・未来へとつらなる生命の流れに対して、ずっと鋭敏な感覚がビルトインされているのだろう、と。映画のラストシーンで、定食屋の小母さんの葬儀を終えた彼女たちはたがいにもつれあうように湘南の砂浜をそぞろ歩きながら、故人はいい人生を送ったに違いないとして、こんな会話を交わす。



 幸「最後に何を思い出せるだろう?」

 佳乃「アタシは男か酒だよね」

 幸「縁側かな、家の」

 佳乃「これでまた嫁に行くのが遅れる」

 幸「すずは?」

 すず「いっぱいあるよ」

 佳乃「50年経てば、みんな同じおばあちゃんになるんだからね」

 千佳「それ、楽しいかも!」



 四姉妹がひとつになった場面だ。他愛ないおしゃべりには、おそらく卑弥呼や天照大御神の昔から連綿と女性たちが受け継いできた死生観がこだましていたのではないか。このとき、彼女たちはあたかも神話の登場人物のように、わたしの前に清々しく立ち現れ琴線をかき鳴らすのである。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍