ジュスト・ジャカン監督『エマニエル夫人』

ポルノ映画の金字塔を
成り立たせた条件


435時限目◎映画



堀間ロクなな


 最も有名なポルノ映画と言えば、『エマニエル夫人』(1974年)に違いない。ファッション写真家のジュスト・ジャカンが監督をつとめ、ファッション・モデルのシルヴィア・クリステルが芳紀21歳にして主役となり、いかにもフランス映画らしいおしゃれな雰囲気をまとった作品は芸術の香りさえ漂わせて、男性ばかりでなく女性にも幅広くアピールして世界的に大ヒットした。日本でも一般のマスコミが盛んに取り上げ、美女が乳房をあらわにして足を組んだポスターが氾濫して社会現象と化した。

 


 当然ながら思春期のわたしもいそいそと映画館に向かったわけだが、念のため、上映にあたってはかなりの修正が施されたものの年齢制限はかけられていなかったことを言い添えておく。そして、約2時間後に映画館から出てきたときには下腹部が熱く火照るのをごまかそうとしながら、鼻血までこぼれてきてうろたえたのは同世代の少なからずが体験したことだろう。以来、自分のなかでこの作品を封印してきたのだが、あらためて見直してみようと思い立ったのは、あれから半世紀が経って、わたしの知るかぎり『エマニエル夫人』を凌ぐポルノ映画が出現しなかったことが不可解だったからだ。



 ストーリーはわかりやすい。パリに住むエマニエル夫人(クリステル)は、タイのフランス大使館に勤務する夫ジャン(ダニエル・サーキー)に呼ばれて、初めてバンコクの地を訪れ、妻の美しさを独占するつもりはないとの夫の言葉にしたがってさまざまなアヴァンチュールを遍歴し、やがて性愛学の大家マリオ(アラン・キューニー)の導きで真実のエロスにめざめていくというもの。



 映画が公開されたときは、ヒロインがタイへ向かう機中でオナニーするところを乗客の男に見られてトイレでセックスしたり、バンコクでは大使館員の妻たちのグループのひとりに言い寄られてスカッシュで汗だくのからだを愛撫されたり、マリオに阿片を吸わされたあとでキックボクシングの勝者のアナルセックスを受け入れたり……といったシーンが話題を呼び、わたしも興奮したのだけれど、現在の目で眺めると、ポルノ映画としてもっと重大な条件が横たわっていることに気づいたのでまとめてみたい。



 (1)作品は、ヨーロッパのエスタブリッシュメントの白人女性が、有色人種のひしめくアジア的混沌へと分け入っていくことでキリスト教の価値観を脱し、アナーキーな境地に到達するという、世界の北と南のギャップを基本構図としている。あまつさえ、当時の東南アジアではベトナム戦争がアメリカの敗北で終結した直後にあたり、タイのフランス大使館は対応に追われていたわけで、そうした国際政治の血なまぐさい状況との対比においてこそ、エマニエル夫人のめくるめく冒険はいっそう際立ったことだろう。



 (2)ここで主題とされている性とは、ずばり快楽のためだけのものである。フランス大使館員の妻たちがそれぞれ気ままに性欲を発散させながら、およそ妊娠・出産の可能性と無縁でいられたのは、このころヨーロッパやアメリカで経口避妊薬(ピル)が登場したのにともなう、セックスの意義の革命的な転換が背景にあったはずだ。



 (3)そもそも、いまはエマニエル夫人の無修正ヘアヌードを鑑賞できるのをはじめ、スクリーンでは女性たちがのびのびと裸体を披露して、オナニーやレスビアンの描写が重視されているのは、男性たちがしばしば強姦まがいの野蛮な行動に出ながら、その下半身がつねに隠蔽されているのと対照的だ。しょせん、ペニスにはヴァギナの相対的な価値しかない。それは、当時の世界を席巻した「ウーマン・リブ」運動がもたらし、やがて現在の性の多様性へとつながっていく意識を反映したものだったろう。



 ラストシーンで、エマニエル夫人はつぶやく。



 「初潮を迎えた日のように誇らしい。私は女よ!」



 オランダ出身でフランス語が苦手だったというシルヴィア・クリステルが、たどたどしい口ぶりでこう宣言したとき、人類のセックスをめぐるまったく新しい物語が立ち現れたのである。もしこれらの条件があくまでひとつの時代の状況下で用意され、ふたたび生じることがないとするなら、『エマニエル夫人』はこれからもポルノ映画の金字塔として永遠に君臨していくとわたしは思うのだが、どうだろうか?


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍