宮本顕治 著『敗北の文学』

「野蛮な情熱」――
のちの日本共産党議長の出発点


445時限目◎本



堀間ロクなな


 1988年(昭和63年)2月6日、土曜日、たまたま自宅でNHKテレビの国会中継をつけていたところ、午後6時の放送終了の直前、衆議院予算委員会の浜田幸一委員長がいきなり日本共産党の質問者に向かって「宮本顕治君(実際はミヤザワケンジと言い間違えた)は人を殺した」と叫んで大騒ぎになった。その光景をいまでもはっきり覚えているのは、戦前のスパイ査問事件の疑惑よりも、当時79歳で政治の表舞台から姿を消して久しい日本共産党議長がいまなお政局を揺るがすだけの存在感を示したせいだった。



 そんな宮本がかつて、あの「評論の神様」小林秀雄を打ち負かしたことはよく知られている。1929年(昭和4年)に雑誌『改造』が懸賞論文を募集した際、まだ東大在学中の学生でありながら、芥川龍之介の自死を題材とした『敗北の文学』によって、競争相手の小林を退け見事に一位当選を果たしたのだった。その論文はいま読み返してみても、若々しいエネルギーの横溢する力強い分析に瞠目しないではいられない。たとえば、芥川の『侏儒の言葉』のなかの「シェイクスピアも、ゲーテも、李太白も、近松門左衛門も亡びるだろう。しかし、芸術は民衆の中に必ず種子を残している」というアフォリズムをめぐって、こんなふうに論じている。



 「いつかは滅びるであろう」いつか、酷薄な社会的現実は、氏の芸術観に、悲壮な認識を与えずにはおかなかった。しかも、芥川氏は「落莫たる百代の後」、氏の作品を愛する誰かに美しい夢を見せることを信じようとしている。氏の軽蔑していた民衆こそ、偉大なる創造力をもって、ゲーテを――そして、氏をも乗り越して突進するものであることを認めた時、芥川氏は、小ブルジョアジイのイデオローグに過ぎない氏の文学も、いつかは没落しなければならないという告知を、新興する階級の中に聴いたであろう。〔中略〕これは、事実上氏自身が自らに向けた否定の刃ではないか。あらゆる天才も時代を越えることは出来ないとは、氏の度々繰り返したヒステリックな凱歌であった。こうした絶望そのものが、「自我」を社会に対立さす小ブルジョア的な魂の苦悶でなければならない。



 いかにも快刀乱麻というにふさわしい筆先の勢いに、わたしは鼻づらを引きずりまわされる思いがする。試みに、このとき7歳年上の小林秀雄が応募した論文『様々なる意匠』の冒頭部分も引用してみよう。



 吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。



 どうだろう? 確かに、小林は高尚な問題意識に立ってレトリックを駆使しているけれど、そのぶん曖昧模糊とした雰囲気がつきまとい、こと論旨の明晰さに関するかぎり宮本のほうが優っているのではないか。もしわたしが懸賞論文の審査員のひとりだとしても、やはり宮本に一票を投じたに違いない。だが、そうした評価の一方で、この論文にはじわじわとこちらを落ち着かない気分にさせるものがある。それは、芥川龍之介の自死という題材を扱うにあたって臆面もなく、今日の言い方では「上から目線」に立ち、あたかも昆虫好きの少年が採集した虫をピンで標本箱に留めて観察するような、圧倒的な厚かましさに由来するだろう。かくして、芥川が小ブルジョア・インテリゲンチャの限界から抜け出せないまま自死へと至る過程をつぶさに辿ったあげく、つぎの結論に達する。



 我々はいかなる時も、芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない。我々は我々を逞くする為に、氏の文学の「敗北」行程を究明して来たのではなかったか。

 「敗北」の文学を――そしてその階級的土壌を我々は踏み越えて往かねばならない。



 小林が『様々なる意匠』に書きつけた文章を待つまでもなく、世の中にひとつとして簡単に片付く問題がないことは小学生だって知っていよう。それにもかかわらず、あえて世の中の神羅万象を敗北と勝利のふたつに割り切って理解しようとするのは、たんに「野蛮な情熱」と開き直って済ませられるものだろうか。とまれ、この『敗北の文学』を出発点として、戦前戦後の激動の時代にそうした生き方を堂々と貫いてみせたのが宮本顕治という存在だったとするなら、あの日、政界の暴れん坊として鳴らしたハマコーが蟷螂之斧をかざして立ち向かったのは、みずからをはるかに上回る昭和のドン・キホーテだったのかもしれない。


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍