アガサ・クリスティ著『カーテン』

それはサッカーなのか、
ラグビーなのか


532時限目◎本



堀間ロクなな


 どんでん返し――。ミステリーの女王、アガサ・クリスティのいちばんの魅力はそこにあるだろう。『検察側の証人』(1924年)、『アクロイド殺し』(1926年)、『オリエント急行の殺人』(1934年)、『ABC殺人事件』(1936年)、『そして誰もいなくなった』(1939年)……などなど、ページを繰るのももどかしく読み進めていったあげく、ついに事件の真相が明かされたとたん、開いた口のふさがらない思いを味わったのはすべてのファンに共通するはずだ。そうしたアクロバティックな作風は、同じイギリスの出自でも、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズがあくまで近代合理主義に立って読者の理知に働きかけたのとは著しい対照をなしていよう。



 なかでも、ひときわあんぐりとわたしの口が開いてしまったのは『カーテン』だ。そもそも、その成立過程からどんでん返しめいている。クリスティが世に送りだした名探偵エルキュール・ポアロの活躍ぶりが人気を集めていたさなか、1943年にひそかに最終のエピソードとして執筆され、作者の没後に発表する計画だったところ、晩年の1975年に突如封印が解けて目を見たというもの。当時、ミステリー界にとどまらず、日本の一般の新聞・テレビでもビッグニュースになったことを記憶している。



 舞台は、イングランド東部のエセックス州にあるスタイルズ荘。そう、クリスティのデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』(1920年)で、「灰色の脳細胞」のポアロが相棒のヘイスティングス大尉と組んで初めて殺人事件を解決してみせた場所だ。それから幾星霜が過ぎ去ったいま、ポアロから届いた手紙の指示にしたがってふたたびスタイルズ荘を訪れたヘイスティングスは、すっかり老け込み心臓病で身動きもままならぬかつての親友の姿を見出す。だが、ポアロは何も療養が目的ではなく、重大な仕事のためにやってきたという。一見関連のない、それぞれ解決済みとされた五つの殺人事件の真犯人がいまここに滞在しているはずなので、からだが不自由な自分の代わりに調査活動に当たってほしいと依頼されて、ヘイスティングスが行動をはじめると新たな殺人事件がひとつ、またひとつと……。



 まあ、ストーリーを追うのはこのくらいにして、あらゆる読者を呆然とさせるに違いない、肝心のどんでん返しをさっさと明かしてしまおう。まだ事件が混迷のまっただなかだというのに、なんとポアロがあっけなく死んでしまうのだ。どうやら自死の覚悟があってのことらしい、こんな言葉をヘイスティングスに残して。



 「シェラミ、いよいよお別れです。硝酸アミルのアンプルはもう枕元から遠ざけました。自らを善き神(ボン・デュー)の手に委ねたいと思います。願わくは、神の懲罰、あるいは慈悲の速やかならんことを!」(田口俊樹訳)



 この成り行きをどう受け止めたらいいのだろう。たとえ死後に見つかった手記によって真相が解き明かされるとしても、およそミステリー小説で主人公の探偵が中途退場してしまうなんてルール違反ではないか? 一体、どうしたわけだろう。そこで、わたしがふいに思い起こしたのは、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『バルカン超特急』(1938年)のなかで、各国の乗客たちでごった返す国際列車にあって、ふたりのイギリス人紳士がしきりにクリケット競技の結果に熱中するさまをとおしてイギリスの国民性が描かれていたことだ。つまり、思い出のスタイルズ荘に集ったポアロとヘイスティングスのふたりにとっても、犯人探しの推理ゲームは一種のスポーツだったのではないか、と――。



 だとすれば、それを譬えるならサッカーなのかラグビーなのか。われわれ観客はてっきりサッカーのつもりで眺めて、ポアロがよもや「神の懲罰」というボールにわが手で直接触れることはないと思い込んでいたところ、実はラグビーで、ポアロはそのボールを両手につかんだまましゃにむにトライに倒れ込んでいったという顛末だろう。『カーテン』にかぎらず、クリスティが鮮やかな手並みで披露してみせたどんでん返しの数々とは、こうしたスポーツとスポーツのあいだのルールの違いをミステリーの仕掛けに応用して成り立っているように思うのである。もとより、それもまた、「近代スポーツの母国」イギリスから世界へのかけがえのないプレゼントだったろう。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍