『ホルショフスキー・カザルスホール・ライヴ1987』

かれにとって音楽と
哲学はひとつのものだった


548時限目◎音楽



堀間ロクなな


 ピアニストは手指をさかんに運動させるからだろう、他の楽器のプレイヤー以上に年齢を重ねても心身の衰えをきたさないケースが多いように見受けられる。往年のコルトー、バックハウス、ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、リヒテル……といった名手から、現役のアルゲリッチやポリーニなどのスターまで、きわめて長い活動期間を誇っていることは周知のとおりだ。とは言っても、齢90代に至ってなおステージで矍鑠たる演奏を披露してのけたのはわたしの知るかぎり、ミエチスラフ・ホルショフスキーだけである。



 ホルショフスキーは1892年ポーランドのルヴォフに生まれ、幼くしてピアノの才能を発揮して、10歳のときにウィーンでリサイタル・デビューを果たして本格的な演奏活動に入ったが、かれの名前が広く世界じゅうに知られるようになったのは、1936年、44歳の年に「チェロの神様」パブロ・カザルスと組んでベートーヴェンやブラームスのチェロ・ソナタをレコーディングしたことがきっかけだ。こうして室内楽の分野で評価を得つつ忘れられていったあと、なんと、それから半世紀後に突如ソリストとして日本の聴衆の前に登場したのだ。



 1987年12月、東京・千代田区お茶の水に「カザルスホール」が落成し、その名称の由来となったカザルスと縁の深いホルショフスキーを招聘して、こけら落としの公演が行われたという次第。すでに94歳のうえ眼病により失明状態にあったかれが、このときどのようなピアノ演奏を繰り広げたのか、幸い優れたコンディションの録音が残されたため、わたしたちは今日でもそこに居合わせたかのごとく体験することができる。プログラムはバッハの『イギリス組曲第5番』とモーツァルトの『ピアノ・ソナタ第12番』、ヴィラ=ロボスの小品2曲をはさんで、ショパンの『即興曲第1番』『ポロネーズ第1番』『スケルツォ第1番』という、多彩ながら起承転結のメリハリのある構成で、各々の曲想を鮮やかに弾き分けていくさまには感心を通り越して唖然としてしまう。この老大家の柔軟きわまりない指先は一体、どうやってもたらされたのだろう?



 実は、来日時に音楽評論家・石井宏が行ったインタビューがCDのライナーノーツに採録されているのだが、そこにヒントが見つかりそうだ。みずからの来歴を気ままに物語るなかで、ホルショフスキーがひときわ声を大にしているのは、18歳のときにコレージュ・ド・フランス(フランスの特別高等教育機関)で教えていたアンリ・ベルクソンの講義を聞きたくて、2年間ほど演奏活動を休止して通ったというエピソードだ。よほど自己の人生に重大な意味を持ったらしいことが窺われる。インタビュアーは、ことによったらあなたは哲学者になったかもしれない、と笑って応じたけれど、おそらくそんな安直な話ではないだろう。かれにとって音楽と哲学とはひとつのものだったのだ。



 ベルクソンが当時行っていた講義の記録をひもといてみると、たとえばこんな一節が見出せる。われわれが新たなものに対して注意を向けるときに、たんにその事象を知覚するだけでは十分ではない、それを自己の内にある記憶と協働させることにより初めて調和をもった認識に到達できるとして、芸術活動についても敷衍していく。



 「音楽作品を例にとれば、まったく新しい音楽作品の理解に達するのは、音楽についてすでに多くを知っている人、記憶(メモワール)の中に、音楽に関する非常に多くの記憶(スヴニール)をもっている人です。〔中略〕さらに一定の特性をもっている必要があります。それは非常に定義し難いものなのですが、記憶は自らの輪郭をぼやかし、おぼろげになることができなければなりません。そうした記憶は互いに合流・中和し、輪郭がぼやけることによって、自らと完全には類似していない新たな知覚、新たな対象へと重なるようになることができなければならないのです。ある意味、記憶のしなやかさが必要なのであって、それはすべての人に与えられるものではないのです。いわゆる、開かれた知性のことです」(『記憶理論の歴史』藤田尚志ほか訳 2023年)



 難解な講義ではある。だとしても、さまざまな思潮が錯綜した20世紀初頭の時代状況に正面から対峙したベルクソンの哲学は、若いホルショフスキーにとって天啓だったのだろう。こうした言葉にもとづき、かれは音楽のプロフェッショナルの自覚に立って、あえて華やかな前衛をめざすのではなく、みずからの輪郭をぼやかしながらしなやかさを身につけ、「開かれた知性」のもとで生きることに徹したのではないか。そんなしたたかな処世の態度が、高齢になっても自然体のピアニズムを維持し、結果として前人未到の歳月におよぶ演奏活動を実現したとわたしには思えるのである。



 ホルショフスキーはさらに99歳までリサイタルを開いたのち、1993年5月に満100歳で永眠した。果たして今後、かれに匹敵するピアニストは現れるだろうか?


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍