チャイコフスキー作曲『ヴァイオリン協奏曲』
フーゼル酒の
匂いを嗅ぐばかりの
554時限目◎音楽
堀間ロクなな
チャイコフスキーが作曲した唯一の『ヴァイオリン協奏曲』については、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスの「三大ヴァイオリン協奏曲」に次ぐ地位にあって、併せて「四大ヴァイオリン協奏曲」と紹介されることが多い(わたし自身は「三大」よりもチャイコフスキーのほうを愛聴しているが)。そのうえで、この作品が1881年にアドルフ・ブロツキー独奏とリヒター指揮ウィーン・フィルによって初演された際にまったく理解されず、音楽ジャーナリズムの大御所だったハンスリックからこんな言葉を寄せられたことに言及する。
「われわれはそこに荒々しく品のない顔つきを眺め、粗野な怒鳴り声を聞き、フーゼル酒の匂いを嗅ぐばかりである。〔中略〕チャイコフスキーの曲は音楽にも聴くと匂いを発するような作品があるという恐ろしい事実をわれわれに教えてくれた」
かくして、いつの世でもエラぶった批評家連中の見識のなさが笑いものにされるという寸法なのだが、わたしはいまにして、ことはそう単純な話ではないかもしれない、と疑問が湧いてきた。と言うのも、チャイコフスキーと祖国を同じくする稀代の名ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフがこの曲を演奏する姿に接したからだ。
これは1968年にロジェストヴェンスキー指揮モスクワ・フィルと共演したときのライヴ映像で、たがいにもうすっかり気心の知れた仲だけに、ヴァイオリンもオーケストラものっけからロシア的情緒を芬々と撒き散らしていく。でっぷりと肥満したオイストラフは髪を振り乱し汗にまみれ、最弱音のひそやかな囁きから耳をつんざくばかりの絶叫まで奔放自在に楽器を操って、第1楽章で早くも拍手が起こり、第3楽章が終結したとたんスタンディング・オベーションの嵐となり、客席には作曲家ショスタコーヴィチが喝采を送る様子も……。それは、まさにコンサート会場がまるごとウォッカの強烈な臭気を浴びて酔い痴れているかのような光景に見て取れたのだ。
チャイコフスキーがこの『ヴァイオリン協奏曲』を作曲したのは1878年、38歳のときで、同性愛者だったかれがモスクワ音楽院の教え子だった女性と結婚したものの、当然ながらたちまち破綻して自殺未遂を図るまでに追い詰められた直後のタイミングだった。こうした精神状況のもとで傑作を生みだすところが天才の天才たるゆえんだろうが、それはともかく、作曲者本人にとってもいまさらシラフなんかではいられない、いっそアルコールの力を借りてあらいざらいぶちまけ八方塞がりを打ち破ろうとするような野蛮な心情も反映していたのではないか。
実は、わたしはもうひとつ、この曲の深く印象に刻まれている演奏風景がある。こちらは1979年にイツァーク・パールマンが独奏者としてオーマンディ指揮フィラデルフィア管と共演したときのもので、かれはポリオ(小児麻痺)により下半身が不自由なため金属製の義足と両肘に装着した杖を頼りに登場する。そして、椅子に腰かけてヴァイオリンを肩に当てるなり、その顔にはつねに柔らかな笑みを浮かべながらまばゆい美音を振り撒いていき、やはり第1楽章が終わったところで盛大な拍手が巻き起こるのだ。もしオイストラフの直情径行な演奏を直喩的と評するなら、だれしもを陶酔へといざなうパールマンの演奏は隠喩的と言えるのかもしれない。
この音楽を前にして、わたしはチェーホフの戯曲『桜の園』(1903年)で大学生トロフィーモフが没落地主の娘アーニャに向かって告げた、つぎのセリフがはるかにこだましているのを聞き取った。
「そら、あれが幸福です。もうやって来た、だんだん近づいてくる。僕にはもう、その足音がきこえる。よしんば、僕たちにそれが見つからず、ああこれだと悟る時がないにしても、それがなんです? 誰かが見つけますよ!」(神西清訳)
最後に、ルーマニア出身でロマの音楽的伝統を継承する女性ヴァイオリニスト、パトリツィア・コパチンスカヤがクルレンツィス指揮ムジカエテルナと組んで行ったスタジオ録音(2014年)のCDもつけ加えておきたい。上記の男性ヴァイオリニストたちも凌ぐほどに、へべれけに酔っ払って融通無碍に闊歩するような、まさしくハンスリックの言う「フーゼル酒の匂いを嗅ぐばかり」の圧巻の演奏なのだ!
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