イ・チャンドン監督『ペパーミント・キャンディー』

男の愚かさを
見くびってはならない


564時限目◎映画



堀間ロクなな


 韓国映画の傑作、イ・チャンドン監督の『ペパーミント・キャンディー』(2000年)をわたしは落ち着いて観ることができない。稀代の「カメレオン俳優」ソル・ギョングの演じる主人公キム・ヨンホが、あたかも自分の合わせ鏡のように思えるからだ。



 この作品では時間軸が重きをなす。ファーストシーンは1999年の春、背広姿のヨンホはソウルを流れる漢江の河原に現れる。このとき40歳のかれは、わたしと同年生まれということになる。たまたま3日前にカーラジオで、かつてカリボン洞(ドン)でともに過ごした仲間がここでピクニックをすることを知ってやって来たが、およそ20年ぶりに再会した面々の前で奇矯な行動におよんだあげく、「戻りたい、帰りたい」と叫んで、川に架かる鉄橋に這いあがりトンネルを抜けてきた列車へ身を躍らせる。



 つぎのシーンでは、かれがこれまで家具店を営んで羽振りのいい生活を送ってきたものの、株式投資に失敗し、共同経営者にカネを持ち逃げされて破産したあげく、妻子にも見捨てられてホームレスとなった事情が明かされる。実は、わたしも同じこの年に勤め先の会社がバブル経済の崩壊を乗り切れずに破綻して、やがて妻と離婚してひとり暮らしに逆戻りする導火線となった。日本海をはさんだ隣国の地で、おたがいとりとめのない運命に似たようにもてあそばれたわけだ。



 映画はそこから、20年にわたる歳月の時間軸を逆回ししながら、ヨンホが辿ってきた人生のエピソードを綴っていく。1980年代には、ソウルの警察署の刑事としてチョン・ドゥファン(全斗煥)大統領の強権政治に刃向かう若者を拷問にかけたり、さらに遡って、徴兵制により軍務に服していた期間には光州事件(1980年5月)の戒厳令下で市街戦に出動して無実の少女を見殺しにしたり……。



 ひときわ胸に迫るのは、初恋の相手のユン・スニム(ムン・ソリ)との経緯だ。憂いを帯びた眼差しの男に入れあげた彼女は、かれが軍に入隊するとせっせと手紙を書いてはひと粒のペパーミント・キャンディーを添えて送り、いつまで待っても返信がないので兵営まで押しかけたものの面会は許されなかった。そのかれがようやく兵役を終えて刑事の仕事に就くと勤務地へ駆けつけて、小さな食堂で念願の再会を果たし、ビールのコップをつかんだ相手の手を見つめて彼女はこう語りかける。



 「その手、あなたの手。あなたは別人のようだけど、手は同じ。独特の手だもの。ずんぐりしているけど優しそうで、初めて会ったときに手を見て思ったの、こんな手の持ち主ならきっと優しいひとだなって」



 すると、ヨンホは「そうさ、優しい手だ」と笑い、その手を食堂の給仕の女の尻にのばして撫でまわす。スニムは唖然としながら、自分の貯金をはたいて買い求めた一眼レフのカメラを写真好きのかれに差しだすのだが、それさえも突っ返されてしまい、こうしてふたりは訣別した。



 ヨンホがスニムに対して非道な仕打ちをしたのとちょうど同じころ、わたしもある女性に似たような振る舞いにおよんだ過去がある。彼女は大学の後輩だったが、在学中に面識はなく、仕事の関係先として出会って親しくなり、やがてわたしの職場の飲み会に参加するようになって同僚連中からも可愛がられたものの、最後はわたしのほうから縁を切るかたちに至った。彼女もなぜかわたしの手が好きだと告げ、カメラならぬ腕時計と手編みのセーターをプレゼントしてくれたが、結局はそこにはっきりと示された結婚への意思を受け止められなかったのだ。



 映画のラストシーンは1979年の秋、まだ若かったカリボン洞の仲間たちが漢江の河原でピクニックを楽しみ、ヨンホもスニムと無邪気に「夢」を語りあったりしているところだ。それから20年後、かれがこの世界から逃げだそうとするときに「戻りたい、帰りたい」と叫んだのは、まさにこの情景だったろう。わたしは熱い涙を誘われつつ、しかし、と問わずにはいられない。もしその奇跡が実現したなら、ヨンホはスニムとの初恋を実らせてもっとまっとうな人生を歩んだか? と――。自分自身に鑑みてどうしてもそうは思えないのである。男の愚かさを見くびってはならない。


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍