今井むつみ&秋田喜美 著『言語の本質』

赤ちゃんが犬に向かって
「ワンワン」と呼びかける意味


568時限目◎本



堀間ロクなな


 かねてわたしが不思議なのは、愛犬のチワワを連れて散歩していると、乳母車に乗った赤ちゃんまでが「ワンワン、ワンワン」と声を出して笑いかけてくることだ。目の前の犬に好奇心を向けるのはいいとしても、なんだってわざわざ言語化して、いかにも嬉しそうな表情を浮かべるのだろう?



 こんな疑問に明快な回答を与えてくれたのが、認知科学者・今井むつみと言語学者・秋田喜美の共著になる『言語の本質』(中公新書 2023年)だ。子どもがことばを習得するプロセスにもとづいて言語の誕生と進化の謎を解き明かそうとする本書では、ひときわオノマトペ(擬音語)の役割が重視される。ワンワン、ニャー、ザラザラ、ドキッ……といったオノマトペについて脳の活動を調べると、環境の音を処理する右半球と言語の音を処理する左半球のどちらもが反応し、つまり環境音(アナログ)と言語音(デジタル)を橋渡ししていることを説明したうえでこう述べる。



 「子どもはオノマトペが大好きだ。オノマトペが感覚的でわかりやすいというだけでなく、場面全体をオノマトペ一つで換喩的に表すことができる、声の強弱や発話の速さ、リズムなどに感情を込めやすいなどの理由による。オノマトペは子どもを言語の世界に引きつける。それによって子どもはことばに興味を持ち、もっと聞きたい、話したい、ことばを使いたいと思う」



 なるほど、赤ちゃんは「ワンワン」と口にすることでことばを学びはじめると同時に、未知の世界へと分け入っていく興奮を味わっているわけだ。そこで、わたしがつぎに不思議に思うのは、ひと口に犬といっても、わが家の愛犬のように小さなものから人間以上に大きなものまでサイズも外見も相当異なるにもかかわらず、赤ちゃんはそれぞれに向かって「ワンワン」と呼びかけ、ときに野良猫やタヌキ(わが家の周辺には親子連れのタヌキが出没する)にも間違って使うにせよ、たいていはきちんと大小の犬を指し示してみせることだ。あらためて考えると、これはかなり高度な認識の作用ではないか?



 子どもはオノマトペによって言語の世界に出会ったのち、少しずつ単純なものから複雑なものへと概念を表すことばを身に着けていくことになり、そこで重要な働きをになうのが推論能力だという。論理学における推論には、一般命題から個別の事象を導きだす演繹と、逆に個別の事象から一般命題を導きだす帰納がよく知られているが、著者たちはそれらに加えてアメリカの哲学者チャールズ・バースが提唱する「アプダクション(仮説形成推論)」にとくに注目する。



 これは個別の事象の観察データを説明するための仮説をつくる推論能力で、帰納との違いは、推論の過程において直接には観察不可能な何かを仮定し、直接観察したものと違う種類の何かを推論する点だとする。ずいぶん難しい言い方だが、赤ちゃんがいくつかの種類の犬を見たのち、それをもとに初めて目にする種類にも犬として「ワンワン」と呼びかけ、ときに野良猫やタヌキも含んでしまうことはその実例に他ならないだろう。そして、つぎのような記述につながっていくのだ。



 「すでに述べたように、必ず一つの正解が決まる演繹推論と異なり、帰納推論とアプダクション推論は、絶対正しい正解が決まらない推論である。〔中略〕バース自身も、帰納推論とアプダクション推論はつねに修正されなければならないと指摘している。これらの推論が個人における言語の習得、あるいは言語以外の知識の体系の習得に貢献し、人類全体の知識の発展に貢献するためには、推論の結果として創造された知識はつねに修正されなければならないのだ」



 かくして、わたしにとってさらに不思議な疑問を呈しておきたい。どうして赤ちゃんは当たり前のように犬に「ワンワン」と呼びかけるのに、かれを取り巻く人間そのものに対してはなんのオノマトペも発しようとしないのだろう? もし言語習得の出発点にそれがあったら、子ども同士がいじめたり差別したりする事態は生じないと思うのだが……。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍