ベートーヴェン作曲『弦楽四重奏曲第15番』
病癒えたる者の
神に対する聖なる感謝の歌
26時限目◎音楽
堀間ロクなな
交響曲第9番〈合唱つき〉を書き上げたベートーヴェンは、そのとき53歳だった。これをもって完成させた交響曲は最後となり、また、20代から取り組んできた32曲のピアノ・ソナタや、畢生の大作であるミサ・ソレムニスの作曲も終えて、かれに与えられたその死までの残りの3年間はおもに、ガリツィン公の依頼などによる6曲の弦楽四重奏曲の制作に費やした。
そのうちのひとつ、弦楽四重奏曲第15番(1825年)は5つの楽章から成り立ち、もともと交響曲第9番の第4楽章のために準備されながら、奇想天外な独唱・合唱の導入という方針変更によってボツになった主題が、その最終楽章に転用されている。ひとによっては、お祭り騒ぎめいた「喜びの歌」よりも、こちらの哀愁を帯びた美しい旋律のほうを好むのではないだろうか。そして、この曲の第3楽章の譜面には、ベートーヴェン自身の筆跡で「病癒えたる者の神に対する聖なる感謝の歌、リディア旋法による」と記されているのだ。
ベートーヴェンはよく知られているとおり、若くして聴覚障害を宿痾としたばかりでなく、終生にわたってさまざまな病気に見舞われた。この弦楽四重奏曲第15番の作曲に着手したころにも、主治医のブラウンホーファー博士にこんな手紙(1825年5月13日付、小松雄一郎訳)を書き送っている。
「いまだに非情に衰弱しています。胸やけなどします。いよいよもっと強い薬が必要のようです。だが便秘させないで下さい。(中略)わたしのカタル症状は次のような具合です。かなり大量の血を吐きました。たぶん気管からだと思います。鼻血はよく出ます。この冬は何度も出ました。しかも、胃はとても弱っています。これはわたしの体質でしょうが、胃が悪いのは間違いありません。自分の体質を考えると、それだけでも元の力を取り戻すのは難しいようです」
楽聖の晩年の姿としてはあまりに痛ましい。こうした深刻な体調を経たのちに、つかのまの小康状態を得て、第3楽章が一気に書き下ろされたらしい。教会旋法にもとづくコラールが躍動し、喜びをもって繰り返されていく個所を聴くと、だれしも健やかに生きている実感が体内に広がっていくだろう。ひとは病気を避けることはできない。それは年齢につれて否応もなく親しいものとなっていき、やがて必ず屈して死を迎えることになる。そんな病魔の爪につかまれた者は、たとえほんのわずかの時間でも、いま健やかであることを神の恩寵と受け止めずにはいられないだろう。
交響曲第9番ほど臆面もなく壮大に人類愛を謳いあげた例を、ほかに知らない。同じく、この弦楽四重奏曲ほど臆面もなく病気からの恢復に敬虔な感謝を捧げた例も、わたしはほかに知らない。つまり、ベートーヴェンとは作曲家としてある以前に、そのような人間としてあったのであり、だからこそ史上に屹立する偉大な存在なのだ。
ヴァイオリン2丁とヴィオラ、チェロの4人によって奏でられるこの音楽、厳格なアンサンブルのもとでも小春日和のような温もりのある音色がふさわしい。わたしはチェコのスメタナ弦楽四重奏団が1967年に録音した演奏を好んでいる。
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