メアリー・シェリー著『フランケンシュタイン』

あまりにも思弁的な
怪物を生みだしたものは


589時限目◎本



堀間ロクなな


 イギリスの女流作家、メアリー・シェリーが匿名で出版した『フランケンシュタイン』(1818年)を知らない者はいないだろうが、しかし、実際に手に取って読んでみると、きっとだれもが少なからず戸惑ってしまうに違いない。



 というのも、われわれが映画やテレビで接してきた、あの巨大な絶壁頭と首のボルトがトレードマークで意味不明の唸り声をあげるだけのキャラクターとは異なり、ここで少壮の科学者ヴィクター・フランケンシュタインがつくりあげたのは、やはり死体をつなぎあわせて蘇生させたものとはいえ、きわめて知性に富み、強靭な肉体を持ち、むしろ饒舌なまでにみずからの思いを語ってやまない怪物だったのだ。たとえば、こんなふうに。小林章夫訳。



 「知識とは何と不思議なものだろう! これがいったん頭に入ると、岩の苔のようにこびりついたままなのだ。いろいろな考えや感情を振り払えればいいと思ったこともある。しかし、やがて、この知識がもたらす痛みに打ち勝つには、一つしか方法がないらしいことがわかってきた。死だ。死? おれにとって死とは、怖いがよくわからないものだった」



 このあまりにも思弁的な怪物は一体、どのように生みだされたのだろう? 実は、原作小説の初版から13年後に改訂第三版が刊行された際、作者は「まえがき」をつけ加えていくばくか事情を明らかにしている。それによると、1816年の夏、夫の詩人シェリーとスイスに滞在したときに、やはり高名な詩人のバイロン卿と隣り同士になって、ある日、バイロンから「みんなで怪奇譚を書いてみようじゃないか」と提案されたのがきっかけだったという。その後、彼女が考えついたアイディアをもとに、夫とのあいだで意見交換をしながら作品ができあがっていく。とするなら、ここに出現した議論好きな怪物には詩人シェリーの面影が色濃く反映しているのだろう。メアリーはさらに、つぎのように記している。



 「さてこうして、わたしはわが醜い子供の幸運を祈りながら、再び世に出そうと思っている。わたしが幸福な日々を送っていた頃の産物だけに、この子には愛情がある。当時のわたしにとって、死や悲しみは単に言葉だけのことで、心にしっかりと響いてくるものではなかった。この物語のなかには、夫と一緒だった頃、ともに歩いたり、馬車に乗ったり、あるいは会話をしたことが数多く含まれている」



 しかし、この懐旧の情にあふれた文章には重大なウソがある。それは彼女の年譜を辿ればすぐにわかることだ。



 メアリーは1797年にロンドンで自由主義思想家の父と女権拡張論の母のもとに生まれたが、母親は彼女の出産後に死去した。17歳のときに家族ぐるみの親交があった詩人シェリーと不倫関係になり、いったんヨーロッパ大陸へ駆け落ちしてから帰国して、娘を生むがすぐに死去、ついで長男ウィリアムが誕生する。1816年に前述のとおり旅先のスイスで怪奇譚の着想を得たあと、シェリーの妻ハリエットが自殺したことにより、ふたりは正式な結婚を果たして、長女クララが誕生する。1818年、『フランケンシュタイン』出版。



 なお、このあとに続くのは、出版の年の暮れに長女クララが死去、翌年に長男ウィリアムが死去して、次男パーシー・フローレンスを出産。1822年には夫シェリーがイタリア西海岸で溺死する――。



 こうして眺めてみると、メアリーが書きつけた「死や悲しみは単に言葉だけのこと」といった文章とは裏腹に、その人生は若くして凄まじいばかりの死に彩られ、われわれの想像を絶するほどの悲しみに見舞われてきたろうことが窺われるのだ。だが、本心を偽りのヴェールの向こうに仕舞い込んだのではないか。そんな彼女の筆が描きだした怪物は、創造主フランケンシュタインに対して、この世界にひとりだけでいることの孤独には耐えられない、として懇願する。



 「おれと同じ生き物、おれと同じくらい醜い生き物をつくって欲しい。ちっぽけな願いだが、おれが手にできるのはそれがせいぜいだ。だから文句は言うまい。なるほどおれたちは怪物だから、世間には受け入れてもらえないだろう。だがそうなれば、互いの絆は一層強くなる。幸福な暮らしとはとても言えまいが、平和に生きることはできるし、今のおれのように惨めな気分を味わうこともない。創造主よ、おれを幸せにしてくれ! 願いを聞き入れてくれれば、お礼の一つも言いたくなるだろう。おれに同情を寄せてくれるものが欲しいのだ。頼むから願いを聞き入れてくれ!」



 わたしはここにメアリー・シェリー自身の心の叫びを聞き取らずにいられないのだが、どうだろうか?



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍