NHKメルトダウン取材班 著『福島第一原発事故の「真実」』

それはカフカの
不条理小説のような


592時限目◎本



堀間ロクなな


 2011年3月の東日本大震災における東京電力・福島第一原子力発電所の事故は、日本が長い将来にわたって背負うことになった重い十字架である。だとしても、それから13年あまりのあいだ、事故の真相をめぐってジャーナリズムが検証作業を持続させるとはきわめて稀有な事態だろう。その意味で、NHKメルトダウン取材班による『福島第一原発事故の「真実」』は特大の賞賛に値する成果だと思う。



 これは、事故の直後から、NHKスペシャル「メルトダウン」シリーズの番組制作のためにのべ13名のスタッフが取材班を組んで、1500名以上の関係者にインタビューし、膨大な資料や記録を集めて調査・分析を進め、また、海外の研究機関と連携して事故の再現実験を行ってきた集大成で、その徹底ぶりには圧倒されてしまう。まず2021年に単行本にまとめられて科学ジャーナリズム大賞を受賞したのち、今年(2024年)2月にはそのあとに解明された情報も加えた増補版が講談社文庫から二分冊、計1000ページにおよぶヴォリュームでお目見えした。まさに福島第一原発事故に関する決定的文献だろう。



 こうした採算度外視のプロジェクトは受信料収入で成り立っている公共放送のNHKだからこそ実現できたことで、わたしも欠かさず受信料を支払ってきた者のひとりとして大いに溜飲の下がる思いを味わった次第だ。



 わけても、最大のトピックは「偶然」ではないか。福島第一原発を深度6強の揺れと15メートルを超える津波が襲い、稼働中だった1号機から3号機までの原子炉がメルトダウンして、つぎつぎ水素爆発を起こすという危機にさらされながら、かろうじて核燃料が格納容器を突き破って大量の放射性物質を撒き散らすという破局を免れたのは、いまや伝説と化した故・吉田昌郎所長ら現場職員たちの活動となんの関係もなく、たんに「偶然」の積み重ねの結果に過ぎなかったことを本書は明らかにした。その叙述はまさにフランツ・カフカの不条理小説のようで、日本人たるもの、自分が目隠しされたままどれほど危うい綱渡りをしたのか知っておくためにぜひとも一読する必要があるだろう。



 さて、声を大にして賛辞を呈したうえで、わたしはこの著作についてふたつの欠陥を指摘しないではいられない。そのひとつは、検証作業にあたっての主語が明確に示されていないことだ。せいぜい「取材班」がたまに登場するくらいだが、それはNHKとイコールなのか、それとも13人のスタッフだけなのか、では、最終的な文章責任はどこに所在するのか? たとえば、原子炉の暴走を食い止めるため現場職員が被ばくをともなう危険な作業に取りかかる際に、ある者は死を覚悟して名乗りを挙げた一方で、他の者はそうした勇気を持てない自己に負い目を感じたといった場面のあとに、つぎの文章が続く。



 「しかし、たとえ緊迫した現場であっても負い目や劣等感から被ばくの同意を強いるような状況は避けられなくてはならない。同意しないという態度も可能な限り受け入れられるよう最後まで十分な配慮が尽くされるべきだ。/事故の最前線に立たされるのは軍隊でも公務員でもない電力会社という民間企業のエンジニアたちだ。個人の意思が尊重されるよう、緊急時の運用を企業任せにせず国が一律の仕組みやルールを整備して、意思決定の自由度を担保するような備えが必要ではないだろうか」



 当たり前の良識である。しかし、この現場とは「最悪シナリオ」の場合、福島第一原発から250キロ圏内、岩手県盛岡市から神奈川県横浜市までが放射能汚染地域となって、東日本がまるごと壊滅しかねないという危機と向きあっているのだ。そのとき、当たり前の良識が当たり前に通用するのかどうか、もっと深く倫理的なアポリア(難問)を掘り下げていく態度が求められるのではないか。わたしが恐れるのは、文章責任が曖昧のまま、NHKの名においてこうして当たり前の良識でオチをつけることでさらなる広汎な論議の展開が封じられてしまうことだ。



 もうひとつの欠陥は、本書で原発事故の検証作業の視野に入っているのは東京電力と政府の対応だけで、当のNHKには一切言及されないことだ。あの未曾有の国家的な危機状況にあってNHKもメインプレイヤーの一郭を占めていたのではないか。そこでどのような報道がなされ、どのような世論が醸成され、どのような国民の判断・行動につながっていったかもレポートに含まれるべきだと思う。わたしが親しくしていた若夫婦はその結果、東京の仕事を辞め、幼い子どもを連れて関西へ移転して現在に至っている。こうした事例が多数生じたこともまた『福島第一原発事故の「真実」』の一面のはずだから。



 本書の最後は「私たち取材班は、これからも検証取材を続ける所存である」の一文で結ばれている。つぎの増補版では上記の欠陥が多少とも埋められることを期待したい。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍