ジョン・コルトレーン演奏『至上の愛』

「A Love Supreme」の
肉声に込められたものは


594時限目◎音楽



堀間ロクなな


 現在から過去を振り返ってみると、ある出来事と別の出来事が同じ日に起きたと知って、たとえ偶然だったにせよ、まるで必然の糸によって結びつけられた運命のドラマのように思えることがある。わたしは、1964年12月9~10日にジョン・コルトレーンがニュージャーシー州のスタジオでアルバム『至上の愛』を録音したとき、キング牧師がノーベル平和賞を受けるためノルウェーのオスロ大学を訪れていたこともまた、そうした運命のドラマのひとつと思えてならない。



 ジャズ・サックスの巨人、ジョン・コルトレーンが、盟友のマッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)との「黄金のカルテット」で録音に臨んだ『至上の愛(A Love Supreme)』は、ベートーヴェンの交響曲のように四つの楽章からなり、それぞれに「承認」「決意」「追求」「賛美」の標題がつけられている。トータルでおよそ33分の演奏時間を要する楽曲は、実際、ベートーヴェンの『運命』交響曲に匹敵する規模だ。



 この謹厳な音楽を一度でも耳にした者はだれしも、「承認」の楽章がやがてひどく単純なリズムを刻みはじめると、コルトレーンそのひとのドスの利いた声が重なって、「A Love Supreme」と20回にわたって繰り返すさまに心揺さぶられるに違いない。まさしく核心と思いたくなるのだが、しかし、同曲のライヴの記録にこうしたシーンは見当たらず、どうやらみずからの肉声で歌唱とも祈祷ともつかぬメッセージを発したのはスタジオ録音における一度かぎりのことだったらしい。



 レコードの録音が完了した日、黒人公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング牧師が史上最年少の35歳でノーベル平和賞授賞式のステージに立ったのは、非暴力主義の社会変革運動が国際的に評価されてのことだった。その最大のクライマックスが、前年の1963年8月28日のワシントン大行進における「私には夢がある(I Have a Dream)」演説だ。事前に準備された原稿を読みあげたのちアドリブでつけ加えた約5分のスピーチが、ちょうど100年前にリンカーン大統領が「人民の人民による人民のための政治」を訴えたゲティスバーグ演説(1863年)と並び立つ、アメリカ史上の名演説となった。



 「私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、昔の奴隷の息子たちと、昔の奴隷主の息子たちが、いっしょに兄弟として同じテーブルに座ることができるようになるであろうという夢が。……私には夢がある。いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、皮膚の色によってではなく、どんな人格の持ち主かということによって評価される国に住むようになるであろうという夢が。……」



 キング牧師がここで8回繰り返した「I Have a Dream」は、黒人霊歌のサビのようにリフレインされるごとに法悦の境地を現出させて、やがて真昼のワシントンに結集した黒い肌や白い肌の聴衆たちも唱和したと伝えられている。こうして空前の盛り上がりを見せた大行進から2週間後、アラバマ州バーミンガムのバプティスト教会が爆破されて黒人の少女4人が犠牲となった。この事件に強い衝撃を受けたコルトレーンは、ただちに悲しみと怒りを込めた鎮魂曲『アラバマ』をレコーディングしている。



 しかし、濁流のうねりはとどまるところを知らない。同年11月には公民権法案に理解を示していたケネディ大統領がダラスで暗殺され、そのあとを継いだジョンソン大統領によって翌年の1964年7月に法案は署名されたものの、アメリカ国内の対立と狂乱の炎はいっそう激しく燃えあがっていった……。こうした状況下で、ノーベル委員会は10月14日、平和賞にキング牧師を選出して12月に授与式を行うことを発表した。ときあたかも新たなアルバムの構想に没頭していたコルトレーンに対して、このニュースが雷鳴のごとくインスピレーションを与えたのではないか、と言ったら穿ちすぎだろうか?



 わたしは舌の上でそっと確かめてみる。スタジオ録音に際してコルトレーンが口ずさんだ「A Love Supreme」のフレーズは、そのまま「I`ve(I Have)a Dream」に移し替えても自然とメロディにのせられることを――。



 交響曲のようなジャズの録音とノーベル平和賞の授賞式が同日にあってから、3年後の1967年7月にジョン・コルトレーンは40歳で肝臓がんによって世を去り、翌年の1968年4月にマーティン・ルーサー・キング牧師は39歳で白人男性の凶弾に斃されてしまう。そして、アルバム『至上の愛』は永遠の名盤として、いまも時代や国境を超えて広く聴き継がれているのである。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍