黒澤 明 監督『天国と地獄』

情が支配する時代劇の国、
法が支配する西部劇の国


599時限目◎映画



堀間ロクなな


 黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)を、わたしは学生時分に映画館のリヴァイヴァル上映で初めて鑑賞したのだが、そのときに忘れられないできごとがあった。



 大手靴メーカーの重役・権藤金吾(三船敏郎)が豪邸で社内抗争の秘策を練っているところに、ふいに電話が鳴って、男の声が、あんたの息子を誘拐した、身代金3000万円を用意しろ、警察には知らせるな、と告げる。電話が切れたのち秘書が警察へ連絡しようとすると、かれは「ばか、ジュンの命が危ない」と怒鳴りつけて止めさせる。ところが、すぐに犯人は誤って住み込み運転手の息子のほうを連れ去ったことが判明し、権藤は打って変わって「警察へ電話だ!」と命じた。その瞬間、緊迫感が途切れ、映画館の観客からどっと笑い声が湧きあがったのだ。



 この映画は、エド・マクベインのサスペンス小説『キングの身代金』(1959年)を原作とすることがクレジットされているものの、黒澤監督の「ほんの一部分を借りただけです。マクベインのものとしては、はっきりいえばいい作品ではないですね」という発言もあって、あまり重視されてこなかった感がある。わたし自身、今度、作家・堂場瞬一による新訳版が出たのを機にようやく手に取った次第だが、一読して唸ってしまった。とてもそんなふうに簡単に割り切れるハナシとは思えなかったからだ。



 というのも、こちらの大手靴メーカーの重役であるダグラス・キングは、誘拐犯人の脅迫電話が掛かってくると、(まださらわれたのは自分の息子だと信じている段階で)迷うことなくただちに警察へ通報しているのだ。つまり、黒澤監督は主人公の事件に対する態度を原作から変更したわけで、もしオリジナルのままだったとしたら映画館の観客の笑いを誘うこともなかったろう。



 それだけではない。実は、権藤とキングの態度にはこのあともっと重大な違いが生じる。両者とも社内抗争にともなう株の争奪戦に全財産を賭して、もし資金がほんのわずかでも欠けたら破滅しかねない状況にありながら、他人の子どもを救うために、権藤は3000万円、キングは50万ドルの支出を迫られる。そして、さんざん煩悶を重ねたあげく、権藤は銀行預金を引きだして犯人の要求にしたがう決断を下し、あまりにも有名な特急「こだま」を利用しての身代金引き渡しの場面へと接続していくのに対して、キングのほうは周囲の説得にも耳を貸さず断固として拒みとおし、最後には新聞紙を詰め込んだカバンを携えて車で身代金の受け渡し場所に向かい、大立ちまわりの末、みずからの手で犯人を捕まえるのだ。こうして眺めてみると、そこには情が支配する時代劇の国と、法が支配する西部劇の国のあいだの精神風土の違いが横たわっていそうだ。



 キングはおのれの行動原理について、こんな言葉で説明している。



 「ああ、悪党どもは要求してきた。しかし、何で奴らが勝手にルールを作ったんだ? どうして私が、奴らのルールに従ってゲームをしなくちゃいけないんだ?」



 私のゲームは私のルールで行う、他人のルールにはしたがわない。この発想は、われわれ日本人にはちょっと馴染みにくいものではないか。実際、映画において身代金が犯人の手に渡り、運転手の子どもが無事に帰ってきて、ストーリーの主軸が戸倉警部(仲代達矢)を中心とする捜査陣が凶悪な医学生(山崎努)を追いつめていくプロセスに移ると、たちまち権藤の存在感が希薄になってしまうのは、他人のルールにしたがった者の宿命だろう。その反面で、マスコミ報道により事件の内実を知った人々から同情と賞賛の声が寄せられ、あれだけ傲慢だった男が奥床しい聖人君子のような雰囲気さえまとっていく成り行きに、映画館の観客は心安んじて鑑賞を終えるという寸法だ。



 しかし、そんな形にまとめてよかったのだろうか? というのは、『天国と地獄』が公開された1963年(昭和38年)3月1日以降、全国各地に誘拐事件が続発し、同月31日には東京・台東区で昭和犯罪史に特筆大書される「吉展ちゃん誘拐殺人事件」も発生して、当時、映画の影響がこうした社会現象を引き起こしたとされ、ひいては刑法225条(誘拐罪)の厳罰化へとつながっていった経緯があるからだ。わたしはひそかに考えてみる。もし、原作の『キングの身代金』どおりに、主人公の権藤が他人のルールにしたがわず、あくまで自分のルールを貫いていた場合に、たとえ映画館の観客の不興を買ったにせよ、果たして模倣犯めいた事象があとに続いただろうか、と――。



 さらに思い至るのである。今日の世界を震撼させているランサムウェアといった身代金要求型サイバー攻撃にあたっても、われわれの目に見えないところで、こうした日本とアメリカの精神風土がまるで異なる対応をもたらしているのかもしれないことを。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍