滝田ゆう 著『寺島町奇譚』

そこに描きだされた
少年たちの王国


601時限目◎本



堀間ロクなな


 たとえば、こんな場面がある。



 家族が朝メシのちゃぶ台を囲んだのもそこそこに、キヨシがランドセルを背負って駆けだすと、背後から母親が「いってまいりますは!」と怒鳴り、「イッテマイリマス」と返して学校へと向かっていく。スタンドバーがなりわいの家では母親の目を盗んで遊び人の父親がそそくさと外出したり、隣近所の「鰻どぜう」屋では主人がさっそく蒲焼きの下拵えにいそしんだり。そんな平凡な日がはじまって、平凡な日が暮れようとするころ、下校してきたキヨシと悪童どもはドブのそばで見つけたミミズを木の枝で拾いあげ、女の子を脅かしたあとでこんなやりとりを交わす。



 「メメズにしょんべんひっかけっとチンポコがはれちゃうぞ」

 「そんなの迷信だい」

 「じゃやってみろ」

 「やってやら」



 かくてその小動物におしっこを浴びせたキヨシは家に帰ってくるなり、何やら股間のへんがムズムズしだして、だれにも気づかれぬように、茶の間のクスリ箱からそっと赤チンを取りだして局部に塗りつけた……。



 滝田ゆうのマンガ・シリーズ『寺島町奇譚』(1968~70年)のエピソードのひとつだ。舞台は太平洋戦争の時代、東京・向島寺島町(現在の墨田区)にあった「玉の井」遊郭界隈で、作者が幼少期を過ごした実体験がもとになっているのだが、のちの大空襲によって街はあとかたもなく焼失してしまったから、ある意味でこの作品のなかだけで当時のままに存在してきたといえるかもしれない。そして、ページを繰るたびに、わたしの胸をかぎりない懐かしさで締めつけるのである。



 わたしが小学校に通ったのは、この時代からざっと四半世紀後の東京・小平市大沼町の都営住宅地でのことだ。二軒ひと棟のマッチ箱のような木造家屋がひしめきあう街並みは「玉の井」の風景とはまるで異なるものだったけれど、その狭い路地でわたしもやはり、悪童どもとミミズに小便をひっかけたあとで赤チンの世話になった覚えがある。他にもキヨシと同じく、ビー玉、ベーゴマ、メンコといった賭けごとや、ダルマサンコロンダやイロハニコンペイトウなどの遊びに興じものだ。



 あるいはまた、あちらの家では奇妙なオッサンが夕方になると庭に出て政治演説をぶつのを冷やかしたり、こちらのパン屋では意地悪なバアサンがしばしば釣銭を間違えるのを喜んだり、便所の汲み取りのバキュームカーがやってくると臭気に誘われてぞろぞろあとを追いかけたり。こんなふうに書きだしたらキリがない。いまにして思えば、おとなの足ならほんの10分ほどでひとまわりしてしまうほどの面積の街が、少年たちにとっては広大無辺な冒険の王国だったのだろう。その都営住宅地もいまでは影も形もなく、ただ自分の記憶のなかだけに存在しているわけだ。滝田ゆうにとっての『寺島町奇譚』さながらに。



 わたしの手元にある同書のあとがきで、作者は駄ネコ(血統書などない)への愛着を表明して「寺島町奇譚の中に出てくるタマはその頃のタマの分身であり、と同時に少年キヨシもまた小生の分身ではある。そしてタマとキヨシは一体化する」と記し、こんなエピソードを伝えている。



 「タマはムシ暑い夏の夜、夕涼みに道路へだてた向う側の空地に出かけての帰り円タクにはねられたのであるが、けなげにも這ってはころび、ころんでは這いしてやっとわが家にたどりつく……がダメだと見てとったおふくろはただちにボール箱に入れてゴミすて場へ……。翌朝このいきさつを知った小生、ゴミすて場へ横っ飛び。しかし、あわれやタマはうっすらと口をひらき白眼のふちは涙にぬれてコトきれていた」



 わたしにも似たような思い出がある。あるときわが家に野良の子犬が迷い込んできて、牛乳をやったらすっかりなついて居ついたのだが、ごみごみと密集した都営住宅地で飼うことは許されず、警察官の仕事をしていた父親が休日に自転車でどこかへ捨てにいったところ、数日して泥まみれになって戻ってきた。そのときの感動といったら! しかし、すぐにまた父親が連れ去って、どこでどのようにしたのか口にしなかったが、もう二度と帰ってくることはなかった。



 そう、少年たちの王国はつねに悲哀もないまぜになっていたのである。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍