フィリップ・K・ディック著『人間狩り』

無人兵器の
開発が行き着く先は?


610時限目◎本



堀間ロクなな


 ロシアとウクライナの戦争は世界史において、初めて無人兵器が本格的に使用されたエポックメーキングな事例として記録されることになるのだろう。無人航空機(ドローン)にはじまり、長距離ミサイル無人機、無人戦闘車両、さらには、銃器で攻撃したり、地雷を敷設したり、物資の運搬やセキュリティの監視を担ったり……といった無人ロボット兵器も出現しているという。さまざまな無人兵器の開発・導入については、当事国以外でも兵士の死傷を減少できるとして積極的に受け入れられているようだ。その反面で、われわれの多くがこうした現実に言い知れぬ不安を感じているのも事実だろう。



 果たして、無人兵器は何をもたらすのか? その未来図を思いめぐらしたときに、わたしはフィリップ・K・ディックが『人間狩り』(1953年)で描きだしたヴィジョンがよみがえってくるのである。



 国連軍とソ連(ロシア)軍とのあいだに核戦争が勃発して、世界政府以下の全市民は月面に移住して新たな都市を築き、荒廃した地球上には双方の軍のわずかな生き残りがいるだけだった。だが、兵士たちが戦う相手はもはや敵軍ではなく、かつてアメリカが開発した無人兵器「クロウ」で、二本の鉤爪(クロウ)が生えた金属球のかれらは人間の所在を察知して襲いかかるばかりでなく、みずからを地下工場で際限なく生産する能力を持っていた。その結果、大量に増殖して兵士たちを圧倒して、この物語の舞台となった灰燼の戦場では、両軍の男3名と女1名を残して他の連中はことごとく殺戮されてしまう。



 こうした状況のもとで国連軍のヘンドリックスは、ソ連軍のルディと力を合わせて窮地を脱しようと懸命に立ち向かうが、どうやら「クロウ」はより強力な存在へと進化しているらしく、ふたりはつぎのような対話を交わす。仁賀克雄訳。



 「われわれは新しい種族の誕生を目の当りにしているところなんじゃないのかなと思えてくるんだ。新種。人類の後にくる種族だ」

 ルディは鼻を鳴らした。「人類のあとに来る種族なんていないさ」

 「いない? どうしてだ? われわれは現にそれを見ているのかもしれんぞ。人類の終りと新しい社会の始まりを」

 「やつらは種族じゃない。機械じかけの殺し屋だ。あんた方がやつらを人殺しのために作った。やつらにできるのはそれだけだ。やつらは仕事を持った機械なんだ」

 「いまはそう見えるがね。しかし将来はどうだ? 戦争が終れば、殺す相手の人間がいなくなる。そうすれば本性を現わすさ」

 「あんたはまるでやつらを生きものみたいに見ているな」

 「違うか?」



 わたしはここで論議の的となっているものが、目下、ロシアとウクライナの戦線に跳梁跋扈している無人兵器の群れと重なってくるようでめまいを覚えないではいられない。



 それはともかく、国連軍とソ連軍の4名の仲間は「クロウ」がすでに人間そっくりのロボットをつくりだし、外見上の区別はつかず殺さなければ正体が割れないことを知り、しかもどうやら自分たちのうちにも紛れ込んでいるらしいと判明して、かろうじてここまで生き延びてきた同士で銃口を向けあうことに……。そして、へンドリックスは死に瀕しながら、さらに恐るべき事実を思い知らされるのだ。



 やつらはすでにお互いをやっつけるための武器を作りはじめていたのだ。



 すなわち、「クロウ」が新たな進化の段階に入ってつくりだしつつあるものは、相互に殺しあう仕組みを備えたロボットだった。それが先にルディに向かって投げかけた、戦争が終わって殺す相手の人間がいなくなったときに、かれらが現すべき本性をめぐる問いへの答えだったのだ。「人類のあとに来る種族」もまた、この愚かしい事態を招いた人類と同じように自己破滅の宿命を負っているとしたら、なんと皮肉な話だろう! わたしはあらためて、ぎょっとするのだ。鬼才フィリップ・K・ディックが70年前の米ソ冷戦下で見つめた “悪夢” は、今日のわれわれにこんな警告を発しているような気がして。



 いまだ戦火を止めずにいる、ロシアの大統領とウクライナの大統領こそ、無人兵器のロボットなのかもしれない、と――。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍