ヨハンナ・スピリ著『アルプスの少女』
そのとき目の前に
アルプスの光景が立ち現れて
626時限目◎本
堀間ロクなな
思い出すと胸がときめく。学研(学習研究社)版の『少年少女世界文学全集』(1968~69年)。幼少時に虚弱体質だったせいでボンヤリしていたわたしが、ようやく知能が目覚めてきた小学4年のとき、商店街の本屋さんでその発売予告のポスターを見て母親にねだったところひと言もいわずに申し込んでくれた。こうして大判函入りの分厚い本が毎月2冊ずつ届けられ、1年かけて全24巻がずらりと揃うことになったのだ。いまにして、一家4人が六畳と四畳半のふた間の木造住宅に生活していて、よくそれだけの置き場所があったものだと不思議な気がする。
わたしはこの全集によって文学の世界への扉が開かれて、デフォー『ロビンソン・クルーソー』、ドイル『名探偵シャーロック・ホームズ』、ヴェルヌ『海底二万里』、デ・アミーチス『クオレ』、ルナール『にんじん』、ネズビット『砂の妖精』、ロフティング『ドリトル先生航海記』……と、未知の名作の数々を文字どおりときが経つのも忘れて読み耽った。なかでもひときわ記憶に残っているのが、ヨハンナ・スピリの『アルプスの少女』だ。当時の本はのちに親戚に譲ってしまったので、今回この記事を書くために古書店からその巻だけを取り寄せて、半世紀以上ぶりにページを開いたとたん、あのときの感動がいっぺんによみがえってきた。
あらためてストーリーを説明するまでもないだろう。両親のいない5歳の少女、ハイジが伯母に連れられてアルプスのアルム山の牧場に住む祖父のもとへやってくる。そこで暮らすことになったハイジは、気難しいおじいさんとふたりきりで、山小屋の屋根裏部屋で干し草をベッドに初めての夜を過ごす。そして――。
ハイジは朝早く、たかい口ぶえの音で目をさましました。目をあけると、金色の日光が、まるい窓をとおして、ねどこと、そばの干し草の上にながれてきて、そこいらじゅうなにもかもが、金色にかがやいています。ハイジはびっくりして、あたりを見まわしましたが、ここがどこなのか、さっぱりわかりません。
訳者は関楠生。この個所を初めて読んだ瞬間、わたしはアルプスの雪の峰々を赤く染めて差し込んでくる朝日のまばゆさがはっきりと見えた。ハイジは寝床を起き出して、おじいさんにいわれてそそくさと顔を洗い、ヤギ飼いの少年ペーターといっしょにヤギの群れを追っていく。
ゆかいなアルムの山登りがはじまりました。夜のうちに、風で雲がすっかり吹きはらわれ、紺碧の空が四方八方から見おろしています。そのまんなかにお日さまがかがやいて、緑のアルム山を照らしていました。青や黄色の花は、うてなをひらいて、うれしそうにお日さまを見かえしています。
小学4年のわたしには意味不明な言葉もあったにせよ、たちまちここに描かれているとおりの光景が目の前に立ち現れたのである。以来、わたしはアルプスの写真や映像にいくらでも接する機会があったけれど、あのとき文章によって喚起された美しい光景に優るものを目にしたことがない。そう、子どもとはまだ現実世界に拘束されていないぶんだけ自由奔放にイマジネーションをふくらませることができるのだろう。今日、デジタル教材などを介して容易に現実世界の情報があてがわれてしまうことで、せっかくのイマジネーションを働かせる機会が奪われているとしたら恐ろしい。
こうしてハイジとともに喜怒哀楽にあふれた長い物語を辿っていったわけだが、最大のクライマックスは、やはり親友の少女クララをアルプスに迎えた場面だろう。かねて足が不自由で車椅子生活を送ってきた彼女に、当時のわたしはついこのあいだまで喘息の発作で学校も休みがちだったわが身を重ねて共感していたのもかもしれない。そんなクララをハイジは励まして、自分の足で緑の大地に立つことを促すのだった。
「もういちどやってみて。」
と、ハイジがねっしんにせきたてました。
クララはやってみました。それからもういちど、また、もういちど。そして、とつぜん、大声をあげました。
「あるけるわ、ハイジ。まあ、あるけるわ。ほら、足を片方ずつうごかして、あるけるのよ。」
「まあ、ほんとにじぶんで足をうごかせるのね? あるけるようになったのね? ほんとにじぶんであるけるのね? おじいさんがくればいいんだけどなあ。もう、じぶんであるけるようになったのよ、クララ。もうあるけるのよ!」
このときおそらく、クララだけではない、わたしにも奇跡が起こったのだと思う。新たな未来に踏みだすことへの――。
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