ドラマ『ウルトラQ バルンガ』
ただ空中に浮かんでいるだけの
怪獣の意味
679時限目◎その他
堀間ロクなな
今年(2025年)のゴールデン・ウィーク最終日、5月6日の夜にNHK総合テレビが放送した『熱談プレイバック 円谷英二物語』を観た。講談師・神田春陽の語りにより「特撮の神様」の知られざるエピソードを紹介するという趣向で、われわれの世代にとっては伝説のドラマ・シリーズ『ウルトラQ』(1966年)について以下のような開発秘話が明かされたのだった。
日本映画に最先端の特撮技術を導入した円谷は、太平洋戦争中に『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)で真珠湾奇襲攻撃を再現し、戦後には『ゴジラ』(1954年)によってカリスマ的な怪獣を誕生させて、国内ばかりでなく海外からも高い評価を得ていたが、やがて大きな転機が訪れる。世はテレビの時代へと移り変わり、かれもこの分野への進出をめざして1961年、61歳のときに円谷特技プロダクションを設立し、TBSとのあいだで『アンバランス』の企画を立ち上げた。
これは大人の鑑賞に耐えるドラマとして、われわれの日常にひそむさまざまな神秘現象をテーマとするものだったが、制作に取りかかった段階で、TBSから日曜夜7時~の放送枠につき子どもにも楽しめるように怪獣を出すことが求められる。しかし、すでに映画のスクリーンにゴジラをはじめ、バラン、モスラ、ラドン……といった人気怪獣を送りだしてきただけに、テレビの小さなブラウン管にいまさらどんな怪獣を出したらいいのか、さすがの円谷も途方に暮れた。
そこに一本のシナリオが差しだされる。虎見邦男という早稲田大学でロシア文学を学んだ人物(わたしの先輩ではないか!)が執筆したもので、このなかに登場するバルンガは何もせずに、ただぷかぷかと空中に浮かんでいるだけの怪獣。円谷は膝を打って「怖いだけが怪獣じゃない。怪獣だっていろんなヤツがいていいんだ」と気づくと、進行中の企画を『ウルトラQ』に変更して続々とユニークな怪獣を生みだし、以後、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』……と継続していくウルトラ・シリーズのスタート地点に立ったのである。
NHKの番組の終了後、わたしが所有する『ウルトラQ』のDVDセットから第11話『バルンガ』(野長瀬三摩地監督)の巻を取りだしてさっそくプレーヤーにかけたのはいうまでもない。もちろん、過去に何度も目にしたけれど、こうしたエポック・メーキングな位置づけのものだったことを知ると、ずっと興味深く受け止められる。
ある日、宇宙のどこからともなくやってきたバルンガは、人類に向かって攻撃を仕掛けるでもなく、ただ巨大な風船のように浮かんで無数の足を蠢かしているだけなのだが、莫大なエネルギーを食料とするらしく、東京上空に居据わったとたん、あたりは一斉に停電に見舞われ、車はガソリンを失ってストップしてしまう。かねてバルンガの出現を見越していた奈良丸博士(青野平義)は、そんな怪獣の振る舞いを観察して、『ウルトラQ』のヒロイン、新聞記者の由利子(桜井浩子)らに向かってこう告げるのだ。
「バルンガは自然現象だ。文明の天敵というべきだが、こんな静かな朝はまたとなかったじゃないか。この気違いじみた都会も休息を欲しているのだ。ぐっすり眠って反省すべきことがあろう」
怪獣ドラマにしてはずいぶんと構えの大きなシナリオを仕上げた虎見邦男は、初期の円谷プロのスタッフのひとりだったようだが、一連のウルトラ・シリーズに脚本家としてクレジットされているのはこの『バルンガ』だけである。いわば乾坤一擲の作品だったのだろう。それにしても、かれはどうやってこの風変わりな怪獣のイメージを思いついたのかと考えたときに、早稲田大学のロシア文学科出身という経歴に鑑みて、わたしはひとつの仮説を立ててみたくなる。
オブローモフ主義。
19世紀ロシアのイワン・ゴンチャロフの小説『オブローモフ』(1859年)の主人公をもとに、批評家のニコライ・ドブロリューボフが提示した概念で、当時、変革期を迎えていたロシア社会で、教養ある貴族階級の連中が高い理想を口にするくせに自分では行動を起こすことなく、何ごとにも無関心で怠惰を貪るだけの風潮を指している。そんなインテリゲンチャのありようが時空を隔て、バルンガにつながったように見えるのだ。さらにいえば、飽食に興じながら地に足がつかず、とかく浮わつきがちな今日のわれわれの姿までも、この風船怪獣はあからさまに照らしだしている気がしてならないのだが!?
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