芥川龍之介 著『羅生門』

報告文のお手本として
読み直してみると


680時限目◎本



堀間ロクなな


 文科省の学習指導要領なるものについて、わたしはとんと疎いのだけれど、数年前に高校の「現代の国語」から小説のたぐいが外されたと知ってひどく驚いたことを憶えている。なんでも、実社会で役立つ国語力を育てるために評論や報告文などの論理的な文章を重視して、小説は古文や漢文とともに「言語文化」のほうに移されたとか。



 ところが、先日の新聞記事(『読売新聞』2025年3月26日付)によると、学校現場からの「小説と評論を分けて教えるのは国語力の向上につながらない」といった声を受けて、今回の高校教科書検定ではざっと半数の教科書において小説が取り上げられ、芥川龍之介の『羅生門』(1915年)の掲載頻度がずば抜けて高い結果となったそうだ。ある教科書会社はその理由づけを「場面の描写の手法などを学び、報告文の書き方を工夫しよう」と説明して検定をパスさせたと証言している。あの『羅生門』が報告文のお手本になるとは初耳だけれど、せっかくの機会なのでわたしもそうした観点で読み直してみることにした。



 というのも、芥川が東大在学中の24歳のときに発表したこの小説を、もし報告文と見なすならば論理的な欠陥があるのではないか、と思うからだ。相次ぐ地震や火事によって京の都がすっかりさびれたころ、空腹を抱えてさまよっていた若い下人が、死骸の捨て場と化した羅生門でひとりの老婆と出会い、その着衣を剥ぎ取って盗人となるまでを辿っていくストーリーについては、もはや説明の必要があるまい。わたしが首をかしげるのは、鬘(かずら)に仕立てようと死んだ女の髪の毛を抜き取るような汚らわしい老婆の着物を奪ったところで、とうてい下人の飢えを凌ぐのにはほど遠いという事実だ。とすれば、これはなんらかのメタファーと受け止めるべきだろう。



 そのへんにポイントを絞って読み返してみると、小説の開始部と終結部にふたつの対応するパラグラフが用意されていることに気づく。ひとつは、下人がまだ途方に暮れた状態で羅生門の下をうろうろしていた段階での内面の描写だ。



 どうにもならない事を、どうにかする為には、手段を選んでゐる遑(いとま)はない。選んでゐれば、築土(ついぢ)の下か、道ばたの土の上で、饑死(うゑじに)をするばかりである。さうして、この門の上へ持つて来て、犬のやうに棄てられてしまふばかりである。選ばないとすれば――下人の考へは、何度も同じ道を低徊した揚句(あげく)に、やつとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、何時(いつ)までたつても、結局「すれば」であつた。下人は、手段を選ばないといふ事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつける為に、当然、その後に来(きた)る可(べ)き「盗人になるより外に仕方がない」と云ふ事を、積極的に肯定する丈(だけ)の、勇気が出ずにゐたのである。



 もうひとつは、そのあと下人が羅生門の楼の上にのぼっておびただしい死骸を目の当たりにし、くだんの怪しげな老婆に太刀を振りかざして死んだ女をもてあそぶ事情を問い質したあとの内面の描写だ。



 下人は、太刀を鞘にをさめて、その太刀の柄(つか)を左の手でおさへながら、冷然として、この話を聞いてゐた。勿論、右の手では、赤く頬に膿(うみ)を持つた大きな面皰(にきび)を気にしながら、聞いてゐるのである。しかし、之(これ)を聞いてゐる中(うち)に、下人の心には、或(ある)勇気が生まれて来た。それは、さつき門の下で、この男には欠けてゐた勇気である。さうして、又さつきこの門の上へ上つて、この老婆を捕へた時の勇気とは、全然、反対な方向に動かうとする勇気である。下人は、餓死をするか盗人になるかに、迷はなかつたばかりではない。その時のこの男の心もちから云へば、餓死などと云ふ事は、殆(ほとんど)、考へる事さへ出来ない程、意識の外に追ひ出されてゐた。



 この小説を報告文と捉えるなら、これら対になるパラグラフで「勇気」をキイワードとして、善良な下人が不埒な盗人へと転じた心理的なプロセスが緻密に報告されているといえよう。ただし、われわれの一般的な言語感覚からすると、あえて盗人になることに対して「勇気」の表現を充てるのは少なからず違和感をともなう(今日、「闇バイト」に走った連中を「勇気」に結びつけることはあるまい)。作者はなんだって、こんな言葉を持ち込んだのだろう?



 わたしはこんふうに思いをめぐらせてみた。大学生の芥川は、これから文学の道へと乗りだしていく自分の姿を若いにきび面の下人に投影させたのではないか。すなわち、羅生門の楼上に積み重なった死骸とは明治以来の旧態依然たる作家たちのありさまを指し、わが手に奪い取るべき文壇的地位を老婆の着物に譬えたのである(大御所・漱石が芥川の小説を激賞したことは知られているが、実のところ、芥川が漱石の小説をどれほど評価していたのかはよくわからない)。そう考えれば、なるほど『羅生門』は芥川がいましも新進作家として立とうとする「勇気」を表明した報告文であり、有名な末尾の一行はおのれの野心と不安を込めたものとしてぴんとくるような気がするのだ。



 下人の行方は、誰も知らない。



 さて、こうした読解で、果たして高校の「現代の国語」の合格点をもらうことはできるだろうか? 


 

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍