スティーヴンソン著『ジキル博士とハイド氏』
そのとき魂は
罪深い自由を体験して
683時限目◎本
堀間ロクなな
イギリスの作家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンが『ジキル博士とハイド氏』(1886年)を出版したのは、アメリカやフランスで映画産業が誕生する前夜のことだった。この小説は新興のメディアにとってよほど誂え向きの素材だったらしく、岩波文庫版の訳者・海保真夫の解説によれば映画化されたこと約70回を数えるという。のみならず、それが書かれた1994年以降も、『ジキル博士はミス・ハイド』(ブライス監督 1995年)、『ジキル&ハイド』(フリアーズ監督 1996年)、『ジキル博士とハイド氏』(フィリップス監督 2002年)、『ジキル博士の記憶』(ハーズマン監督 2008年)……と制作されているから、いまだに衰えぬ人気のほどが窺われよう。
したがって、この怪奇譚の普及については映画が果たしてきた役割もきわめて大きいわけだけれど、あらためてスティーヴンソンの原作をひもといてみると、その核心の部分には映像表現では汲み尽くせない深刻な問題意識が横たわっていることに気づく。
たとえば、一連の映画のなかで古典的とされるフレミング監督の『ジキル博士とハイド氏』(1941年)では、折り目正しい温厚な医師が実験で開発したクスリによって野獣のごとく狂暴な悪漢へと変身する、その両面を名優スペンサー・トレイシーが演じ分け、イングリッド・バーグマンの扮する酒場の美女を手籠めにしたあげく殺害してしまうという、サスペンス仕立てがセールスポイントとなっている。もとより、それはわれわれの内心にひそむ欲望を反映したものだが、しかし、原作において(ひとりの美女も登場しない)ジキル博士がハイド氏を生みだしたのは単純な善悪二元論にもとづく欲望の解放などではなかった。
ジキル博士は手記のなかで、こうした奇怪な実験に取りかかった動機をつぎのように説明している。
「私が人間の本源的二元性を明白に自覚するにいたったのは、道徳面においてであり、それも私自身をとおしてであった。〔中略〕善と悪とをそれぞれ別個の個体に宿らせることができれば、人生から一切の悩みが排除されるだろう。不正の人間は、これまで自分と双生児同士だった正しい人間の持っている、理想と自責の念とから解放され、勝手に我が道を歩むことができる。正しい人間のほうも、今や不正と縁が切れた以上、恥辱と悔恨にさらされる心配はない。善行に喜びを見出しつつ、高邁な目標にむかって着実に進むことが可能なのである。善と悪という互いに無縁の存在が一緒に束ねられていること、すなわち、両極端なこれらの双生児が意識の胎内で激しく争い合い、哀れな宿主を苦しめていることこそ、人類の災いではなかろうか」
わたしはいまにして胸を突き刺される思いがするのだ。これまで60年あまりの人生をそつなく善人としてやってきたのに、深夜にふと目が冴えて、わが身に覚えのある大小の悪行がよみがえって「恥辱と悔恨」に苛まれるあまり眠れなくなったりする。なんだって、あんな馬鹿なことをしでかしたのか? と――。もし実際に自分のなかの不正を分離して捨て去ることのできるクスリがあったら、おそらくそっと手を出すに違いない。いまさらながらまったき善人となって、心安んじて眠りに就くために。
ところが、ジキル博士はみずからが開発したクスリを服用すると、案に相違して悪人のほうに転じてしまった。激しい吐き気と苦痛に襲われたあとに、ハイド氏への変容が生じたときの内面についてこんなふうに記述されている。
「興奮さめやらぬなかで、私はなにか不思議なもの、名状しがたいほど斬新なもの、斬新なるがゆえにすこぶる甘美なものを感じた。肉体はこれまでよりも若々しく、軽やかに感じられ、浮き浮きした気持である。内心ひどく無鉄砲な気分になり、官能的なイメージが水車を回す水の流れのように次々に心を走りぬけた。義務の束縛から解放され、魂は罪深い自由をはじめて体験しつつある……」
かくして、おのれが排除しようとした不正こそが自己の生きてあるエネルギーの源泉であったことを知らされるのである。なんと恐ろしい逆説だろう。つまりは、わたしが深夜に過去の悪行を思い起こして「恥辱と悔恨」を覚えるなどとはきれいごとに過ぎず、実のところ、そんな悪行の記憶を弄びながら「恥辱と悔恨」に酔って淫靡な活力としているのが本当なのかもしれない。人間という生き物は素朴な善悪二元論で割り切れない、ひっきょうジキル博士とハイド氏がイコールだと暴いてみせた原作は、われわれの抱え込むどす黒い実存的な深淵を凝視するものだったろう。
スティーヴンソンはこの小説を発表した8年後、脳出血により44歳で死去した。
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