毛沢東 著『矛盾論』

なぜ石ころは
鶏に転化できないのか?


744時限目◎本



堀間ロクなな


 われわれは思い違いしているのではないか? 「矛盾」という言葉についてである。



 この故事成語の由来は、小学生でも知っているだろう。昔、楚の国の商人が「どんな盾も貫く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていたところ、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われて答えに窮したという『韓非子』の記述にもとづくもので、日本人はたいてい、迂闊な商人の笑い話と受け止めているはずだ。しかし、ことによると、そうしたわれわれのほうが迂闊なのかもしれない。なぜなら、中国建国の父・毛沢東は『矛盾論』において、「矛盾」こそ自然と社会の根本法則であり、したがって思考の根本法則であるとまで位置づけているからだ。



 これは、日中戦争がはじまった1937年に、中国共産党の拠点だった延安の抗日軍事政治大学で毛沢東が行った講演の記録だ。当時、党内にはびこっていた教条主義を排除するため、静的な形而上学的世界観ではなく、世界を「矛盾」の相克の場と捉える動的な弁証法的世界観に立つべきだと主張して、その理論的な根拠をマルクス・レーニンの唯物史観に求めている。だが、たとえば、つぎのような発言には、むしろ『韓非子』など中国古代の諸子百家に淵源するプラグマティズムの伝統を見て取ることができるのではないだろうか。松村一人・竹内実訳。



 もともと、矛盾する各側面は、孤立的には存在できないものである。それと対をなしている矛盾のもう一つの側面が存在しなかったら、それ自身も存在の条件をうしなってしまう。試みに考えてみるがよい。すべての矛盾する事物、または人間の心のなかの矛盾する概念のうち、どちらか一つの側面が独立して存在することができるであろうか。生がなければ死はなく、死がなければ生もない。上がなければ下はなく、下がなければ上もない。不幸がなければ幸福はなく、幸福がなければ不幸もない。順調がなければ困難はなく、困難がなければ順調もない。地主がなければ小作人はなく、小作人がなければ地主もない。ブルジョア階級がなければプロレタリア階級もなく、プロレタリア階級がなければブルジョア階級もない。〔中略〕それらは、一定の条件によって、一方ではたがいに対立しながら、他方ではまたたがいに連関しあい、貫通しあい、滲透しあい、依存しあっている。この性質が同一性と呼ばれるのである。



 この世界はありとあらゆる「矛盾」の集合として成り立っているというのだ。なるほど、こうした社会精神の伝統のうえに、やがて政治は共産主義(一党独裁)、経済は資本主義(市場経済)という人類史上空前の「矛盾」を抱え込んだ国家が出現したことも頷ける気がするのだ。だとするなら、こうした「矛盾」はどのような形で解消へと向かっていくのだろうか? とかく、この国の「矛盾」に翻弄されがちな小さな島国にとって、それはきわめて重大な論点のはずだ。



 なぜ卵は鶏に転化できるのに、石ころは鶏に転化できないのか。なぜ戦争と平和とのあいだには同一性があるのに、戦争と石ころのあいだには同一性がないのか。なぜ人間は人間を生むことができて、ほかのものを生むことができないのか。それは、ほかでもなく、矛盾の同一性ということが一定の必要な条件のもとでのみ存在するからである。一定の必要な条件を欠くならば、どんな同一性もない。〔中略〕われわれ中国人は、よく、「相反し相成る」という。これは、相反するものが同一性をもっていることを意味する。この言葉は、弁証法的であって、形而上学と反対のものである。「相反する」とは、矛盾する二つの側面がたがいに斥けあうこと、あるいはたがいに闘争しあうことを意味する。「相成る」とは、一定の条件のもとで、矛盾する二つの側面が、たがいにむすびついて、同一性を獲得することである。そして、闘争性は同一性のうちでのみ存在するから、闘争性がなければ、同一性はないのである。



 目下、高市総理大臣の「台湾有事」発言をめぐって、中国とのあいだに生じている激しい軋轢も、この言説にしたがえば、双方が同一性へと向かうための「相反し相成る」のプロセスなのだろう。ただし、われわれは「矛盾」の取り扱いにくれぐれも細心の注意を払う必要がありそうだ。毛沢東はこうも予告しているからだ。



 爆弾がまだ爆発しないときは、矛盾物が一定の条件によって、一つの統一体のなかに共存しているときである。新しい条件(発火)が出現するにいたって、はじめて爆発がおこる。自然界にみられる、最終的には、公然たる衝突の形式をとって、古い矛盾を解決し、新しい事物をうみだすすべての現象には、みな、これと似たような状況がある。



 決して笑い話ではないのである。 



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍