ワーグナー作曲『ニュルンベルクのマイスタージンガー』

歌をつくるのは
靴をつくるのと同じだ


787時限目◎音楽



堀間ロクなな


 あれはわたしが大学生のときだ。日本ワーグナー協会が開催した映画版『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の上映会に馳せ参じた。当時はワーグナーの長大なオペラを実見におよぶことなどそうそう考えられなかったから、それに代わる貴重な機会であり、貸会議室に35ミリフィルムの映写機と移動式プロジェクターを持ち込んで設営された会場はお世辞にも理想的な環境といえなかったものの、各地から参集した50人ばかりの老若(すべて男性だったはず)は固唾を呑んでスクリーンに目を据えたのだった。



 このときの映画は現在DVD化されているので自宅で気軽に観ることができる。1971年にドイツのロルフ・リーバーマン・プロダクションがハンブルク国立歌劇場と制作したもので、レオポルト・ルートヴィヒの指揮のもと、ジョルジョ・トッツィ(バス)、エルンスト・ヴィーマン(バス)、トニ・ブランケンハイム(バス)、リチャード・キャッシリー(テノール)、アーリン・ソーンダーズ(ソプラノ)らの歌手たちが、レオポルト・リンドベルクのオーソドックスな演出によって説得力のあるパフォーマンスを繰り広げている。



 リヒャルト・ワーグナーがみずからの台本に作曲して1867年に完成したこの楽劇は、16世紀のニュルンベルクに実在したハンス・ザックスを主人公としている。かれは靴屋をなりわいとしながら、いまでいうシンガーソングライターとして名を馳せた。つまり、タイトルのマイスタージンガーを日本語に移すと「親方歌手」となるわけで(かつて「名歌手」と訳されたのは誤り)、舞台には他にも毛皮屋、パン屋、金属細工師、香料屋、仕立て屋……が登場し、かれらはマイスタージンガーのギルドを組織して厳密な規則にもとづく音楽芸術を花開かせていた。そこに若い騎士ワルターがやってきて、鍛冶屋の娘にひと目惚れして自分もマイスタージンガーの仲間に加わろうとすることからドラマが展開していく。



 それにしても、こうした街の職人衆がシンガーソングライターを兼ねるという中世ドイツの伝統をどう受け止めたらいいのだろう? われわれの目にはずいぶんと風変わりなしきたりのように映るのだけれど、そこには音楽芸術に対する根本的な考え方の違いが横たわっているのかもしれない。



 ザックスはクライマックスの第三幕で、騎士ワルターに向かって親方の歌の価値を教え諭す。ひとはだれしも人生の春の季節には胸ふくらませて恋の歌をうたうだろうが、やがて結婚生活がはじまって、夏、秋、冬と移ろっていくうちに苦難や不和が訪れて昔日の輝きなど遠くに過ぎ去ってしまう、まさにそのときにこそ、美しい歌をうたいだすことができるのが親方なのだ、と。そして、こんなふうに続ける。



 そのためには親方の規則を学んでください

 それらの規則があなたを導き

 青春の衝動が気づかぬうちに

 心のなかに植えつけたものを失わないよう

 いつまでも守ってくれるはずです


 (その規則をつくったのは)

 貧しい親方たちの人生の苦しみに耐える精神です

 その荒々しい生活のなかにこそ

 青春の日の愛の思い出が色褪せることなく残って

 春の喜びがいつまでも伝わるようにしたのです



 すなわち、こういうことだろう。青春の思い出を歌にして永遠にとどめおくためには厳密な規則が必要であり、これを譬えてみれば、ほんの思いつきで一足の靴をつくったとしてもすぐ履けなくなり、長いあいだ履くに堪える靴をつくるには厳密な技術の集積が必要なのと同断だ。その意味で歌をつくるのは靴をつくるのと同じで、また、毛皮やらパンやら金属細工やら香料やら衣服やらをつくるのともなんら変わるところがない、と――。これは薄っぺらな考え方だろうか? まさか。日常の実用品としての音楽芸術のありようがワーグナーの主題だったわけで、もし現代のわれわれが音楽芸術を束の間の娯楽のための消費財と見なしているとするなら、そちらのほうが薄っぺらな考え方なのだろう。



 半世紀近く前のあの日、昼下がりからはじまった上映会は、主催者側が映写機の扱いに不慣れだったせいでしばしば中断したり、途中でフィルムの順番を間違えたことに観客のわれわれもすぐには気づかず、しばらくたってからまたかけ直したりしながら進行していった。それはおそらく、音楽芸術が日常の実用品として悪戦苦闘する光景だったのだろう。ようやく正味4時間のオペラ映画の鑑賞を終えて出てきたときには、すでにとっぷりと日が暮れていたことを憶えている。 




一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍