冨田 勲 作曲『ジャングル大帝』主題歌

天才・手塚治虫の
常識さえも超えたところで


827時限目◎音楽


堀間ロクなな


 アフリカの大地はきょうも新しい朝を迎え、灼熱の太陽を表すかのようにトランペットが高らかに鳴りわたると、雄々しいバリトンの歌声が一気に1オクターブと1音を跳躍して咆哮しはじめる。



 アーアーアーアー

 ひびくこだま

 アーアーアーアー

 レオの叫び

 ジャングルの友よ みんな

 瞳かがやかせたちて

 戦い進もう

 明日は未来がまっている

 (石郷岡豪 作詞)



 手塚治虫原作のアニメ『ジャングル大帝』(1965~66年)のオープニングだ。テレビがカラー放送をスタートさせた時分、この作品に心を鷲づかみにされた体験を持つのはわたしだけではないはずだ。青空に向かって無数のフラミンゴが飛び立ち、果てしないサバンナを主人公の白ライオンのレオに率いられてキリンやゾウ、カバ、チーター、シマウマ、ガゼル……が行進していくシーンは、はるかなアフリカ大陸への夢を掻き立てたが、それは手塚の作画ばかりでなく壮大な主題歌によってもたらされた感動だったろう。なぜなら、やがてテレビはアフリカの大自然を鮮やかに映しだすようになったけれど、あのアニメほど胸を躍らせることがなかったのは、そこにあの音楽が欠けていたせいと思われるからだ。



 作曲したのは冨田勲で、かれはこの主題歌のために小規模ながらレッキとしたオーケストラを使い、バリトン歌手には東京芸術大学声楽科を卒業して第一線で活躍中の平野忠彦を起用して、アニメ・ソングの枠に収まらない、あたかもクラシック音楽を制作するかのような態度で立ち向かった。



 腹巻猫著『劇伴音楽入門』(2026年)によると、手塚は冨田に対してあらかじめチャイコフスキーの『交響曲第4番』第2楽章のレコードをかけて「こういう感じがほしいんです」と注文し、冨田が理解を示したという。クラシック音楽にもひときわ造詣の深かった手塚ならではのエピソードだが、わたしはいささか首を傾げたくなる。一体、その真意はどこにあったのだろうか? 



 「第2楽章は悲哀の他の一面を示します。ここにあらわされるのは、仕事に疲れはてた者が、夜半ただひとり家の中に坐っているとき彼を包む憂鬱な感情です。読もうと思ってもちだした本は彼の手からすべりおちて、多くの思い出が湧いてきます。こんなにも多くのいろいろなことが、みんな過ぎてしまった、去ってしまったというのはなんという悲しさでしょう」(『作曲家別名曲解説ライブラリー チャイコフスキー』音楽之友社)



 これは、チャイコフスキーがパトロンのフォン・メック夫人に宛てた手紙のなかで、みずから『交響曲第4番』(1878年)の第2楽章の曲想を解説している個所だ。当時、同性愛者のかれは結婚に踏み切ったもののたちまち破綻して、自殺未遂を引き起こすという精神的危機からようやく脱しかけたころで、上記の文面にはそんな内面の反映を見て取ることができるだろう。いずれにせよ、ここに表明されたひたすら後ろ向きの心情は、未来に向けて疾駆する百獣の王レオとはおよそ真逆のものに違いない。



 実際、冨田がつくりあげた主題歌はチャイコフスキーの作品とは似ても似つかぬ音楽で、それを耳にした手塚は1オクターブと1音の跳躍に驚愕して「出だしでいきなりこれは視聴者は歌えない。これではテーマ曲として意味がない」とNGを突きつけたという。ある意味で正当な判断だったろう。視聴者であるわれわれ子どもの技術ではとうてい太刀打ちできる歌ではなかったのだから。しかし、冨田はついに変更しないまま押し通して、それはのちに芸術祭奨励賞を受賞し、世界からも高く評価されることになった。すなわち、天才・手塚治虫の常識さえも超えたところで、あの『ジャングル大帝』の輝かしいオープニングが成り立ち、われわれのアフリカ大陸への夢を羽ばたかせたのだった。



 主題歌はしぶとく跳躍を繰り返してこう結ばれる。



 アーアーアーアー

 ひびけこだま

 アーアーアーアー

 大空へ



    

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍