シドニー・ポワチエ主演『野のユリ』

そこに描かれた
ボランティアの形とは


829時限目◎映画


堀間ロクなな


 近年、地震や豪雨による甚大な災害のニュースが相次ぐなかで、せめても気持ちを明るくしてくれるのは多くのボランティアが被災地の支援に力を尽くしていることだ。わけても初々しいティーンエイジャーの奮闘ぶりがテレビ画面に映しだされると、胸のすくような安堵を覚えるのはわたしだけではないはずだ。別のニュースが報じるところの、かれらと同世代でトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)の手先となるような連中とは正反対の若者たちが存在することに対して――



 いや、待て。果たして、そうだろうか? ことによったら、被災自治体の募集に応じてボランティア・センターの差配で各所へ派遣されて活動にあたる者と、闇バイトの募集に応じて通信アプリの指示役が伝える場所に出向いて強盗を手がける者とは、社会的な意味合いでは著しいコントラストをなしながら、その行動原理においてどこか通底するものがありはしないか。



 シドニー・ポワチエが黒人俳優として初のアカデミー賞主演男優賞を受けたハリウッド映画『野のユリ』(ラルフ・ネルソン監督 1963年)は、まったく異なるボランティアの形を提示してみせる。



 自家用車で気楽なひとり旅に出た黒人青年ホーマー・スミス(ポワチエ)は、アリゾナ砂漠のただなかで粗末な小屋に暮らす5人のカトリック修道女と出くわす。彼女たちは第二次世界大戦後の混乱するドイツを脱出して、はるばる当地まで流れつき、荒れ地を開墾しながら信仰生活を送っているのだった。



 その院長のマザー・マリア(リリア・スカラ)は、ホーマーが熟練の大工職人だと知ると、ここにとどまって教会を建てるよう求める。あまりにも突飛な申し出を笑い飛ばしたホーマーも、やがてマリアのペースに呑み込まれ、近くの町の建設会社で働きながら教会づくりに着手することに。ところが、もともと資金の裏付けのない計画だっただけにたちまち行き詰まって、ホーマーはさっさと立ち去ってしまう。



 さて、ポイントはここからだ。数週間後、ホーマーはふたたび姿を現す。自分でも「なんで戻ってきたのだろう?」と首をかしげながら、ふたたび教会の建設に取りかかったところ、そんなとりとめのないボランティアのありさまを見て、町の人々はレンガや木材などを山積みにして提供したばかりか、老若男女が押し寄せてきて工事の手伝いを申し出た。すると、ホーマーはこう告げるのだ。



 「みんなの気持ちはありがたいけれど、ここはだれの助けも借りずにひとりでやりたい。オレはずっと何かを造りたいと思っていたんだ」



 ホーマーにとって、ボランティアとは他者の企図にもとづいて行うものではなく、あくまで自己の意思による営為を意味したのだろう。それに対して、マザー・マリアはこんなふうに応じる。



 「造るのは神よ。あなたは自分が神でないことを嘆くの?」



 まさしくボランティアをめぐる神学論争といっていい趣きだ。もとより、現実に教会を独力でつくりあげることは夢想でしかなく、やがて町じゅうが力を合わせることによって完成に漕ぎつけることができたわけだが、ホーマーはたとえマザー・マリアであれ他者に支配されることを拒み、最後の最後まで自己の意思を貫きとおしたのである。そして、ついに教会が落成の日を迎えると、祝賀のミサに参列することもなく、ただちに自家用車を駆って新たな旅へと出発した。



 「野の百合は如何(いかに)して育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。然(さ)れど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装(よそほひ)この花の一つにも及(し)かざりき」



 映画のタイトルの由来となった『新約聖書』マタイ伝第6章の一節だ。ホーマーもまた、荒野に咲いた一輪のユリの花であり、それは同時に、われわれがボランティアという行為についてあらためて考えてみる手がかりのように思えるのである。  



  

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍