藤沢周平 著『蝉しぐれ』

狂ったように
鳴き立てる蝉の声が


831時限目◎本



堀間ロクなな


 わが家には文字どおり猫の額ほどの庭があるのだが、先日、ふと目をやったらコンクリートの踏み台で一匹の蝉が仰向けになって死んでいた。相変わらずの猛暑とはいえ、そろそろ夏が終わりかけているのを思い知らされながら、それにしても、今年もさして蝉の声を耳に留めないまま過ぎてしまったことに気づいた。一抹の淋しさを覚えるのはわたしだけではないだろう。



 そんなかつての夏の風物詩を取り込んだ作品として思い起こされるのが、藤沢周平の時代小説『蝉しぐれ』(1987年)だ。



 例によって、舞台は日本海に面した海坂(うなさか)藩だ。普請組の牧家の養子となった文四郎は元服間近の15歳、無口で一徹な養父の助左衛門のことを慕っていた。夏のある日、剣道の道場での稽古を終えて帰る道すがら、城下の外れの空地に差しかかったときに突如、御槍組や御弓組の一帯が慌ただしく駆け抜けていく様子を目のあたりにする。その場面を引用しよう。



 空地は三方を雑木林に囲まれ、矢場の跡だということは、空地のずっと奥に見える草に覆われた土壁でそれと知られる。ひろい空地と雑木林は、春には矢場町ばかりでなくほかの町からも草花をつむ子供たちがおとずれ、恰好の遊び場になるのだが、夏は子供の身の丈ほども草が生いしげるので、時おり虫を取りに入る組屋敷の子供を見かけるぐらいで、大方はひっそりとしている。

 その空地の中に、山ゆりやかんぞうの花が咲き、日陰になった暗い雑木林の中では蝉が鳴き競っている様子を横目に見ながら、文四郎は空地の前を通りすぎた。蝉の鳴き声はまるで叫喚の声のように耳の中まで鳴りひびき、文四郎は蝉しぐれという言葉を思い出した。



 文四郎の胸中に不吉な予感の兆したことが、にわかに耳を襲った蝉のかまびすしい鳴き声によって示されるのだ。果たして、詳しい事情は不明ながら、どうやら藩主の跡継ぎをめぐる抗争に関連して数十名にのぼる藩士たちが監察の手で捕えられたらしく、養父の助左衛門もそのひとりであることがわかった。日を置かず、助左衛門に切腹の命が下ったことが伝えられ、文四郎は許しを得て、実家の兄・市左衛門に付き添われて収容場所の龍興寺へ向かい、最後の面会がかなった。



 そして、ほんの束の間、助左衛門から「おそらくあとには反逆の汚名が残り、そなたたちが苦労するのは目に見えているが、文四郎はわしを恥じてはならん。そのことは胸にしまっておけ」と告げられたのち、門前の見張りの槍持ち足軽に見送られて寺をあとにした場面。



 はたして塀の角を曲がると、ひとに見られている感触は不意に消えた。そこは片側が龍興寺の長い土塀、片側に古びた足軽屋敷がつづく道で、土塀の内側に森のように密集する木々が、風にゆれては日の光を弾いているのが見わたせる。そこから狂ったように鳴き立てる蝉の声が聞こえて来た。



 やがて養父の遺骸が戻ってきてごく内輪の葬儀を済ませると、文四郎は養母の登世とともに普請組の組屋敷を出て、場末の粗末な長屋へ引っ越すことになった。実兄の市左衛門が下男の嘉平を手伝いに差し向けてくれ、荷車に家財道具一式を積んで住み慣れた家から立ちのく。その場面はこんなふうに描かれるのだ。



 梶棒は嘉平がにぎり、文四郎は後について車を押しながら家を出た。組屋敷の前を通り抜け、矢場跡にさしかかるとまた雑木林の蝉の声が聞こえて来たが、その声はこころなしか以前よりも衰えて来ているように思われた。

 ――夏も、だんだんに終わる。

 と思いながら、文四郎は車を押した。ひどい夏だった、とも思った。



 こうして眺めてみると、手練れの作家が鮮やかな手並みで、文四郎の揺れ動く心情をさんざめく蝉の声の聞こえ方と重ねあわせて表現しているのがわかる。さらには、不幸な境遇に挫けることなく、若い主人公がこれからの人生の一歩一歩を踏みしめながら成長していく未来までをも――。



 この蝉が重要な役割をつとめる作品は、藤沢周平の生まれ故郷の『山形新聞』に連載された。であるなら、かつてこの地を訪れた俳聖・松尾芭蕉が「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句を詠んだのもあながち偶然ではないような気がしてくる。奥羽山脈西麓の国ではいまだに蝉しぐれがひときわ盛大に轟きわたっているものとわたしは想像をめぐらすのだが、どうだろうか。



   

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍