ロバート・キャパ著『ちょっとピンぼけ』

偉大な戦場カメラマンは
そのとき


835時限目◎本



堀間ロクなな


 ロバート・キャパの自叙伝『ちょっとピンぼけ』(1947年)のクライマックスは、やはり第二次世界大戦下の1944年6月6日、米英を中心とする連合軍のノルマンディー上陸作戦に従軍した際のエピソードだろう。その記述には、まさに20世紀の最も偉大な戦争カメラマンの面目躍如たるものがある。と、しゃっちょこばった物言いをしたのは他でもない、現在ではその偉大な戦場カメラマンが架空の存在であることが知られているからだ。



 こうした事情だ。1913年ハンガリー生まれのユダヤ人、フリードマン・エンドレ・エルネーは20歳のときに祖国を離れて報道カメラマンとなったものの、さっぱり芽が出ないでいたところ、女性カメラマンのゲルダ・タローと知りあい、彼女はロバート・キャパという名前の戦場カメラマンをでっちあげてふたりの写真を売り込んだ。そして、1936年にスペイン内戦を取材中、ゲルダはたまたま人民軍の演習でひとりの兵士が足を滑らせて引っ繰り返った姿をカメラに収め、それが「崩れ落ちる兵士」のタイトルで敵に銃殺された瞬間の作品として雑誌に載るなり、世界的な賞賛を博して、フリードマンは好むと好まざるとにかかわらずキャパになりすますしかなかったのだ。



 したがって、第二次世界大戦の終結後間もなく発表されたこの自叙伝も、偉大な戦場カメラマンのイメージを形作るためのものと見なすのが妥当だろう。それにしても、わたしのように臆病な人間はそもそも、カメラだけを抱えて銃弾・砲弾の飛び交う戦場へと出かけていく気が知れないのだけれど、一体、何がかれらをそこまで突き動かすのだろう? キャパは自叙伝のなかで、1944年5月、ロンドンで過ごしながら病気療養中の恋人ピンキィを見舞ったときの様子をこんなふうに書いている。川添浩史・井上清一訳。



 リトル・フレンチ・クラブは退屈だったし、ベルグラーヴのアパートはつまらなかったし、私は鬱々として楽しめなかった。私が最後に療養所を訪ねたとき、ピンキィは庭を散歩していた。彼女のスカートは以前のように、彼女の美しい腰にぴったり似合っていた。歩く足もとは、ややたよりなげであったが、彼女の足は美しかった。〔中略〕お茶をすませると、私は最上等のシャンパンが一本、彼女の冷蔵庫に冷やしてあることを告げた。私は軍服姿だった。そしてピンキィのテーブルの上の新聞には「ヒットラー曰く、連合軍上陸作戦は日曜か」と見出しがあった。



 退屈。どうやら、キャパをノルマンディー上陸作戦への従軍に駆り立てたいちばんの動機は、セクシーな恋人と過ごしながらも癒やすことのできない退屈から逃れるためだったらしいのだ。カッコイイ! ことさら立派なお題目を並べてみせるよりずっとスマートではないか。そして、6月6日早朝、アメリカ軍の第1歩兵師団第16歩兵連隊第2大隊E中隊の一員としてオマハ・ビーチに降り立ち、ドイツ軍の攻撃に殺戮されていく兵士に向かってシャッターを切ったあとの行動について、かれはつぎのように報告している。



 私はちょっと一息ついた。……ところが、これがいけなかった。

 フィルムのない空っぽのカメラが手の中でふるえていた。予期しない、新たな恐怖が頭のてっぺんから、足のつま先まで私をゆすぶって、顔がゆがんでゆくのが自分にも感じられた。私はシャベルのホックを取りはずすと、せっせと穴を掘った。シャベルに砂の中の石があたった。私は急いで石を取り除いた。まわりの死んだ兵隊たちは、いまは身動き一つせずに横たわっていた。ただ波打際の死体が打ちよせる波に転がされていた。

 そのとき、一隻の上陸用装甲艇が砲火を物ともせず岸につっこんできて、その舟からはペンキで赤十字をかいた鉄帽の軍医たちが一斉にとびだしてきた。私は、とっさに立上ると、その舟の方へ駈けていった。死体のあいだを掻き分け、海にとびこんだ。海水は首の根っこまでとどくほどの深さだった。〔中略〕ただ濡れないようにと、頭上高くカメラをさし上げていたが、とつぜん、私は戦場から自分が逃げ去ろうとしてることに気がついた。



 キャパはその撮影のためにやってきたはずの交戦のまっただなかで恐怖に襲われて逃げ出したというのである。しかし、それをだれが責められるだろうか? むしろ、戦場の恐怖から目を逸らすのではなく、じかに恐怖と向きあってみずからの精神が切り刻まれていく体験こそ、偉大な戦場カメラマンのものなのではないか。カッコイイ! わたしはこうやってつくりあげられたイメージに対して拍手喝采を送らずにはいられない。



 だとするなら、このあとに続くあまりにも有名なエピソードについても落ち着いて考えてみたくなるのだ。すなわち、ノルマンディー上陸作戦でキャパが撮影したフィルムをロンドンの事務所に送ったところ、暗室の助手が興奮のあまり現像に失敗して106枚の写真のうち救われたのは8枚だけで、しかもピントのぼけたような仕上がりになってしまったという。かくして、これらの写真がかれの代表作となり、『ちょっとピンぼけ』の自叙伝が書かれるに至ったわけだが、わたしはそこにも偉大な戦場カメラマンの神話を見て取れるような気がするのである。    




一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍