司馬遼太郎 著『燃えよ剣』『坂の上の雲』『項羽と劉邦』
わたしにとっては
下半身ネタの大家なのだ
58時限目◎本
堀間ロクなな
もう久しく司馬遼太郎の本に手をのばしていない。あらかた代表作を読んでしまったからか、あの巧みに繰り広げられる話芸が億劫になったせいか、あるいは、わたしよりひと回りふた回り上の世代が(ご本人の意向とは無関係に)預言者のごとく崇め奉っていた一時期への反動だろうか、あえて目をそらせてきた向きもなきにしもあらずだ。
そんなヘソ曲がりのファンであるわたしにしても、かつて読んだ司馬の文章が何かの拍子によみがえってきたりする。下半身ネタだ。知らぬ間にヤケドのように脳裏に焼きついていたのかもしれない。さっそく、わが記憶中のベストスリーを挙げよう(太字が原文)。
◎『燃えよ剣』(1964年)
近藤勇の江戸道場にいた土方歳三と沖田総司が夜分、かつての刃傷沙汰に恨みを抱く連中との果たし合いに向かう。多勢に無勢、分は悪い。そのとき沖田がにわかに便意を催して川原の桑畑で用を足していると、歳三も下腹のあたりが怪しくなってきた。
「土方さんもですか」
「ふむ」
「初心の泥棒なんざ、侵入(はい)る前につい下っ腹に慄えがきて洩らしちまうと聞きましたが、ほんとうですね」
「だまってろ」
たがいに、なまなましいにおいを嗅ぎあっていると、なんとなく慄えが去り、度胸がすわってきた。
(さて。……)
◎『坂の上の雲』(1972年)
いよいよ日本海にロシアのバルチック艦隊を迎えて決戦に挑むその朝、作戦参謀・秋山真之は――。
軍服の上衣の上に剣帯の革ベルトを巻いて腹を締めあげて艦橋にあらわれた。
その珍妙な姿をみて、若い士官がうつむいて笑いを噛みころしたが、真之は知らぬ顔でいた。
「褌論(ふんどしろん)」
というのが、真之の持論だった。かれは褌の文字が衣ヘンに軍と書くのは臍下丹田(せいかたんでん)をひきしめて胆力を発揮するためのもので、戦さはそれで臨まねばならぬ、とかねがねいっていたが、剣帯のベルトを褌がわりにして出て来ようとは、たれの目にも意外だった。
◎『項羽と劉邦』(1979年)
のちに漢王朝の初代皇帝となる劉邦の無頼の日々。沛(はい)の町の居酒屋でとぐろを巻いて、自分は竜の子だと揚言する。
「見ろ」
と、着衣をかなぐり捨ててしまう。素裸になった。この時代、ふつうの家屋には椅子などはなく、床の上に筵を敷き、立てひざをついて飲む。酒場では、つねに劉邦は主座にいる。劉邦の睾丸が、ゆったりとばかばかしいほどの落ちつきぶりで、筵に接している。
「数えてみろ」
おれが尋常な人間であるかないか、からだじゅうの黒子(ほくろ)の数をかぞえればわかることだ、という。
もはや多言を要しまい。いまにして、わたしには「司馬史観」といった仰々しい代物より、こうした男どもの生理や体臭を歴史の風景のなかに眺めるゆとりのほうがしっくりくるらしい。それもまた、この年齢になったゆえだろうか。
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