一万円の価値

                                    黄 文葦

 私は留学生向けの進学塾に勤めている。塾には日本の名門大学を目指す留学生が大勢いる。一つのエピーソードを取り上げる。日本に来る中国人留学生はほぼ全員早稲田大学を知っていた。中国では早稲田大学の知名度が高そうである。しかし、もう一つの日本の名門私立大学である慶應義塾大学を知らない人が案外多い。そして、先輩留学生が新留学生に一万円札を見せて、「ほら、福沢諭吉は慶應義塾大学の創立者ですよ。写真が一万円札に載ることはすごいでしょう。だから慶應義塾大学は早稲田大学に比べてもぜんぜん遜色ないですよ」と言った。新留学生はとても納得した様子だった。一万円札の「顔」から名門大学の価値を認識するらしい。それで、慶應義塾大学に進学するかどうかは別として、留学生には福沢諭吉が作った「文明開化」という言葉も認識してほしい。

 そう言えば、5年後の2024年に新たな紙幣が登場する。今度は渋沢栄一が新一万円札の「顔」に選ばれた。渋沢栄一は「日本資本主義の父」と「論語」の精神を貫いた実業家と認識される。「社会で生き抜いていこうとするならば、まず『論語』を熟読しなさい」とは、渋沢の教えである。渋沢栄一の著書「論語と算盤」の中に「企業が利益を上げるのは当たり前であると同時に経営者は社会への影響、公益をも考えないといけない」という一文がある。いずれも心に響く言葉だろう。「渋沢栄一の一万円」と「福沢諭吉の一万円」には、それぞれ思想と文化の重みが感じられる。

 因みに、中国人民元のお札100元に印刷された人物は毛沢東である。昔の中国の教育家、科学家、医学家、文学家、思想家が多いのに、なぜ古代人物をお金の「顔」にしないだろうか。「お金」に中国の歴史・文化を現在につなぐ役割を果たせたらよい。現在、中国では毛沢東がどういう人物かを知らない若者が多いそうで、「毛沢東」をお金の神様と見なしている。

 日本で初めて得た「一万円」のイメージを語りたい。日本に来て数日後、日本語がぜんぜん喋れなかったにもかかわらず、友達の紹介で神奈川県愛甲石田にあるマヨネーズの工場で数日間短期のアルバイトをした。とても簡単な労働で、卵の殻を機械がむく。私たちが機械に協力して、表面の小さな卵殻の破砕片を取って、卵を洗う。一日いくつの卵を洗っただろうか。数えきれない…一日の仕事を終えて、一万円の現金給料を受け取った瞬間、とても美しいお金だ!と一種の感動を覚えた。卵をきれいにして、マヨネーズの原料に成させて、自分が「一万円の価値」を創り出した。そして、きれいなお金がもらえる。その不思議な感覚を今でも克明に覚えている。因みに、20年前、中国人の平均月収は「一万円」に達してなかった。現在大都市では大卒初任給は「10万円」を超えた。さらに、来日した中国人観光客の一人の平均消費額は二十数万円である。

 日本円を人民元に両替する際に、いつも一万円単位で計算する。私が日本に来てから20年間の中、円高の時期、一万円が800人民元以上のレート、円安の頃、1万円が500人民元弱と急落した時期もあった。令和元年6月現在は一万円は600人民元強である。日本と中国の間、「一万円」はお金の秤(はかり)だとみられる。

 日本ではどこでも100円ショップが点在し、庶民の強い味方という存在だと言われる。三百円ショップと千円ショップは100円ショップより少ないけれど、たまに見かけることがある。コミックス「こちら葛飾区亀有公園前派出所」に「一万円ショップ」が出てきた。現実には「一万円ショップ」は無理。お金持ちになったとしても日本人には節約志向が捨てられないだろう。

 今、私は毎日クレジットカードを使っている。ただし、財布の中には少なくとも一枚一万円札が入っている。日本には「現金のみ」の店がまだ多数ある。電子マネーがいくら発達しても、現金への親しさは永遠に忘れられないと思う。日本での暮らしの中、「一万円」が心に安定感をもたらす。

 話を一万円札の「顔」に戻そう。渋沢栄一と福沢諭吉、二人の偉人の最も顕著な共通点は教育に熱心なこと。「渋沢栄一のメッセージ」(岩波現代全書 島田昌和編)によると、早稲田大学創立35周年記念式典の際、渋沢栄一が祝辞を述べている。「この国の真正なる富を起し真正なる力を進めるには教育でなければとてもいかぬと云ふことを深く感じました」と語ったという。留学生たちがこれからも「一万円」に秘される日本の歴史・文化そして教育理念を認識すれば幸いなことである。

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍