今井 正 監督『キクとイサム』
「年ごろだからな、おら」
未来に立ち向かう異形の少女の輝き
87時限目◎映画
堀間ロクなな
日本映画史上、指折りの異形のヒロインではないだろうか。キク、12歳。ブス、デブ、お転婆、黒ん坊……と、口にするのも憚られる形容がふさわしいキャラクターでありながら、その全身にみなぎるヴァイタリティは観る者の鼻面をつかんで新たな認識の次元へと引きずっていく。今井正監督の『キクとイサム』(1959年)は、敗戦後に日本人女性とアメリカ黒人兵とのあいだに生まれたハーフの子どもたちの、もはや逃げも隠れもできない現実を直視した作品だ。
会津磐梯山のふもとの農村で、混血児のキクとイサムのきょうだいは両親がなく、祖母と3人で暮らしている。貧しい生活のなかでも、女の子のくせにガキ大将のキクと腕白のイサムは元気いっぱいに過ごしていたが、その肌の色の違いに世間はそろそろ目を据えるようになり、否応なくふたりに人生の岐路が訪れる。イサムはアメリカの養父母のもとにもらわれていき、あとに取り残されたキクを見やって、近在の主婦は苦々しげにつぶやくのだ。「イヌの仔もらうときもオス、オスと」……。
このキク役を見出したのは、脚本を担当した水木洋子だった。『ノート〈キクとイサム〉』によると、今井監督らがオーディションの結果、すでに京都在住の利発でかわいらしい顔立ちの混血少女に決めていたところ、水木は「私の描こうとする主人公は、こういうお利口さんでは全くない」と拒み、みずから落選候補たちと面接して、東京荒川小学校6年の高橋恵美子に出会ったとたん、「顔は怪異で、デブッチョである。ただ底抜けに明るいのがコレダ」と白羽の矢を立てたという。
この映画のテーマは、果たして60年前の遠い過去のものだろうか。わたしはそう思わない。肌の色をめぐる偏見は、その後、スポーツの分野が先に立って徐々に解消していき、とくに昨今は若いエリート・アスリートたちのめざましい活躍ぶりで急速に意識改革が進んだ。来年の東京オリンピックでは、黒い肌の日本人選手が熱烈な応援を受けて表彰台に日の丸を掲げるシーンも見られるに違いない。その一方で、じゃあ、NHKのアナウンサーやら、日本料理の鉄人やら、内閣総理大臣やらを、肌の黒い日本人が担うのをだれもが当たり前と受け止めるまでにはまだ年月を要するのではないか。とするなら、日本社会が世界に対して大きく門戸を開いたいまこそ、現在進行形のテーマと言えるだろう。そして、そうした将来を実現するために必要なのは、いたずらに絶望や希望に動じたりしない、ただ底抜けに明るい異形のパワーなのだとこの映画は訴えているようだ。
キクは些細な不始末をしでかしたことを気に病み、祖母にまで見放されたと思い込んで、納屋で首をくくろうとする。が、からだの重みで縄が切れて尻もちをついてしまい、そのショックで初潮を見る。翌日、祖母がつくってくれた赤飯の弁当を手に学校への道を闊歩しながら、いつものようにからかってくる悪童連中に向かって胸を張る。「年ごろだからな、おら。かまってやらねじェもう……」。
水木がキクに与えたラストシーンのこの台詞の輝かしさはどうだろう。未来に立ち向かう少女のこれだけ強靭な姿を描いた映画を、わたしは他に知らない。
0コメント