日本人は「空気を読む」より「空気を作る」ではないか
黄 文葦
7月19日から放送がスタートしたTBSドラマ「凪のお暇」は面白い。主人公の凪は「空気を読み過ぎる」職場女子である。本音をなかなか言えない。まわりに同調して平和を保つ。凪の彼氏も彼女のことを好きすぎてこじらせていた。愛さえはっきり言えなくて本当にかわいそうな人たちだと思われるだろう。幸いに、主人公はやっと覚悟を出して、「空気は読むものじゃなくて、吸って吐くもの」と言い出して、人生をリセットしようという。
日本人は「空気を読む」より、よく「空気を作ろうとしている」と感じる。「空気を読む」は個人的な感覚で、「空気を作る」は集団の体質が示されている。
私は、テレビのバラエティー番組を観ている際に「お笑い芸人はたいへんですね、いつでも笑いを作らなければならない」と思わずにいられない。番組では笑いが止まらない。それは芸人の責務らしい。そもそも、なぜ「芸人」の前に、必ず「お笑い」をつけるのだろうか。確かに、人を笑わせない人は芸人になれない。しかし、芸人はテレビで笑いすぎる。人を笑わせすぎる。笑いの空気を作りすぎる。日本のバラエティー番組は賑やかすぎる。人をリラックスさせる努力を肯定すべきなのが、知恵を絞って、もっと観衆を考えさせられることを言う芸人はいないだろうか。日本では才能抜群の芸人が大勢いると考えられる。ただし、明らかに、バラエティー番組の最も重要な役目は「笑いの空気」を作ること。安っぽい笑いでもよいという空気になり、笑いと笑いの間(あいだ)に、「間」(ま)がなさそうである。
最近、記者会見での芸人の苦しそうな顔を見たら、「笑い」の背後にはやはり苦労なことがたくさんあっただろう、と思った。スタジオで思いっきりいっぱい笑っているけれど、楽屋に戻ってため息をつくかもしれないね。
芸能人から聞いた話だが、ドラマ撮影の際に、主役を務める役者が毎日のように全員に差し入れを準備する。お菓子とか、お弁当とか。たいへん気が使われるらしい。ほかの役者は主役より頻度を下げて適切な差し入れを考えなければならない。このような撮影現場の空気はどうなっているだろう。私は現場にいるなら、「ドラマ撮影に専念しよう」と言いたくなった。気遣いは美徳だが、気遣いすぎて、こころと体が疲れるはずである。
ドラマ「凪のお暇」が表現したように、日本の職場の中で、皆が一生懸命に同調の空気を作っている。人の言うことに調子を合わせる。人の話を聴くと、まずうなずく。心の中で相手の意見に反対していても、「そうですね」と相槌を打つ。それから、摩擦を避けるように遠回しな言い方で自分の意見を言う。あるいは、何も言えずに、陰でほかの人に文句を言う。まあ、敢えて言えば、それで時間がかかる。効率は下がる。
一つのエピソードを披露しよう。中国とビジネス関係のある会社に勤める日本人の友人から聞いた話だ。最近、中国人課長が入ってから、職場の空気が変わったという。会議で中国人課長が「建前を言わないで、本音のみを言ってください」と言った。そのおかげで、物事がハイスピードで進んだという。私の持論だが、仕事で日本人が中国人と長所を合わせ、うまく協力できれば、大きなエネルギーがうまれる。
日本の会社では、マナーとマニュアルが大事である。仕事メールの書き方だが、なぜ冒頭に必ず「お世話になっております」と書くのだろうか。正直言って、自分も知らないうちにこういう風に書いている。ただし、なるべくメールで少しでも自分の個性と誠意を伝えようとしている。例えば、かわいいイラストを入れるとか。
「メールの書き方」など堅苦しいビジネスマナーもあるらしい。ネット上には季節の挨拶の例文がたくさん載っている。なぜ挨拶にも「基準」と「規格」があるのだろうか。自分の言葉で内心の感情を伝えるべきではないか。日本に来て間もない頃、スーパーでサイズ均一の果物・野菜・卵を見たら、日本はすごい国だなぁと思った。ただし、挨拶ぐらい均一しないほうがいい。一人ひとり個性ある表現を出してほしい。
昔から「同調圧力」が日本文化の一つだそう。しかし、現在では、大勢の人が同調しすぎて、慎重になりすぎて、「同調」を「忖度」まで変化させた。
私が好きな日本語の一つは「さり気なく」。自然に生きたい。「空気を作る」をやめたら、空気が読めない人だけではなく、皆が楽になると思っている。「同調圧力」の文化も更新したらいい。これは、日本がもっと活気あふれるための本心である。
0コメント