忘れられている靖国神社

                                 黄 文葦

 8月15日、令和時代の初めての終戦記念日。午後5時頃、私は靖国神社の遊就館に行った。台風の影響で、外は土砂降りだった。大勢の人が出口のところに集まっていた。その時、閉館のアナウンスが何回も繰り返し放送された。その声を聞き、意識が歴史から現実に戻った…。

 その日、私は取材のために、Webマガジンの仲間たちと一緒に靖国神社へ行き、遊就館を見学した。歴史・戦争について、みながそれぞれ考えさせられたことがあると思う。

 そう言えば、往年の8月15日の靖国神社は、いつも「ニュースの現場」になっていた。今年、靖国神社は創立150年の節目だが、過去の8月15日と比べて、人がちょっと少ない気がした。十数年前の8月15日の靖国神社はたいへん混雑していて、大騒ぎになったという記憶を思い出した。今、熱狂の時代はすでに去っていったと感じた。その相対的な「静寂」は、歴史ある神社の本来の姿を示すものではないか。しかし、神社の周りでは、往年の8月15日と変わらず、いくつかの団体が靖国神社と関係なさそうな政治主張をアピールしていた。

 実は、16年前、日中関係に関する記事を書くために、私は一人のカメラマンの仲間と一緒に遊就館を見学・取材した。今回、16年前と同じように、私には最も衝撃的であったのは壁いっぱいに張り出されている戦没者の写真。青年たちのだれもが、まだあどけない表情を見せている。再び遊就館で戦争のすさまじさを認識し、普通の人々が戦争に巻き込まれ、命まで落とし、戦争は不幸しか生み出さないことを痛々しく感じた。

 遊就館には戦闘服や鉄軍帽、機関銃など戦争のさまざまな証が展示されている。それらの実物が無言で硝煙弾雨と戦争の悲惨さを語っている。しかし、実物の傍に、多くの文字説明には多少主観的感情が込められているように見える。正直言って、文字が多すぎるのではないか、と考えた。客観的な簡潔な説明文があればいいと思う。人々が実物を見てから自分なりの思考を生み出すはずである。ちなみに、中国各地にも戦争博物館が多数存在する。言うまでもなく傾向性が顕著だそうである。戦争博物館の役割は何だろうか、と問いたい。恨みとナショナリズム感情を煽るのではなく、人間同士の寛容と未来志向を築かせるべきである。日本と中国、共同で戦争博物館を作る日はいつ来るだろうか。

 ちなみに、十数年前、「靖国神社」というキーワードを中国のマスコミがよく取り上げていた。長い間、日中両国の政治関係は険悪であった。中国側が日本の政治家の靖国神社参拝を猛烈に批判し、日本の政治家が靖国神社に行くことは、大きなニュースになるわけであった。

 そう言えば、現在「靖国神社」は中国のマスコミと大衆に忘れられているらしい。一体、それはどういうことだろうか。日中関係の中で、政治の色が褪せてきたのか。日本と中国の外交姿勢と価値観は変わったのか。中国人の日本に対する好感度がアップしたのか。日本の政治家が「劇場政治」を捨てたのか…いろんな原因が考えられる。

 靖国神社が「忘れられていること」に感慨深い。十数年前、私は新聞社に勤めていた期間、よく靖国神社をテーマに記事を書いていた。その際に、「いつか、靖国参拝を忘れられたらいい」と思っていた。なぜなら、靖国参拝が注目されることは、日中両国の政治関係がうっとうしい状態だと証明されるからだ。現在、やっと、日中関係が晴れて普通になっている。その「普通」が実に素晴らしいものだと思う。日本と中国、互いに「正常な軌道」に乗れば幸いである。

 「靖国神社についてどう思いますか?」。8月15日前後、私は来日した中国人観光客に聞いてみた。「それは何ですか。興味ないよ。むしろ、どこの化粧品が安いかを教えてください」「靖国神社?昔のことよ」「靖国神社の桜がきれいと聞きました。来年桜の季節に行ってみたいです」とさまざまな答えが返ってきたが、いずれも「政治感覚」が薄くなった。「靖国神社」も含めて、中国人の日本観が変わってくる。

 そうだ、靖国神社の桜はきれい。観光客として、それを覚えていればいい。来年の春に日本旅行に来る観光客が、靖国神社の桜を楽しめばいい。

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍