クルーゾー監督『ミステリアス ピカソ―天才の秘密』

天才の思考過程を解明しようとする

大胆不敵な実験の結果は


135時限目◎映画



堀間ロクなな


 フランスのアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督は『犯罪河岸』(1947年)、『恐怖の報酬』(1953年)、『悪魔のような女』(1955年)などで知られるサスペンス映画の巨匠だ。その半世紀以上にわたるキャリアのなかで、最もサスペンスフルな作品と言ったら『ミステリアス ピカソ―天才の秘密』(1956年)ではなかろうか?



 この約80分間のドキュメンタリーを制作した意図は冒頭で明らかにされる。すなわち、『酔いどれ船』を執筆したランボーや『ジュピター』を作曲したモーツァルトなどの天才の思考過程を知りたくとも、詩や音楽の分野では方法がないが、絵画であれば芸術家がカンバスに向かう手の動きとそこに描かれる形象を辿ることによって創造の秘密に迫れるはずというのだ。なんと大胆不敵な実験だろう! そんな発想がひらめくのも奇抜だけれど、受けて立った当時74歳のパブロ・ピカソもいっそう奇抜と呼ぶにふさわしく、裸の上半身にパンツを穿いた格好で縦横無尽に腕をふるうありさまはそれだけで圧巻だ。透過性の高いカンバスに描かれたすべてを、カメラは反対側から細大漏らさず追っていく。



 たとえば、こんな具合だ。繊細なタッチが裸婦の立ち姿をデッサンしたあと、その向かいにスケベそうな中年男がふんぞり返り、眼鏡をかけた道学者風の紳士が見下ろすという構図が浮かび上がったとたん、いきなりマジックインキの青色が闖入し、緑色と赤色が続いて、色彩のパレードがはじまる……。また、別の絵を描き終えたあとに、クルーゾー監督が「まだフィルムが5分間分だけ残っています」と伝えると、ピカソは「じゃあ、驚くものを見せてやろう」と応じて、マジックインキが勢いよく躍動すると、バラの花が現れ、それが金魚となり、さらにニワトリ、人間の顔と移っていき、しまいに不気味な悪魔へと変貌する……。



 われわれ凡人の目には突拍子もなく見える、こうしたやり方は一体、何を意味するのだろうか? ピカソは映画のなかではとくに説明していないが、ブラッサイが編纂した『語るピカソ』(1964年)にはこんな発言が収録されている。



 「どんな意味もない筆の線は、けっして一枚の絵にはならないものだ。私も筆でなぐり描きをする。そしてそれが抽象だといわれることさえある…… けれども、私のはいつも何かを意味しているんだ。牡牛とか、闘牛場とか、海とか、山とか、群衆とか…… 抽象に達するためには、いつでもまずある具体的現実からはじめなければならないのだ」(飯島耕一、大岡信訳)



 この映画はもともと短編の計画だった。ところが、よほどピカソの感興が乗ったのだろう、予定をオーヴァーして次から次へと筆を走らせていったあげく、「まだ表面的だ。絵の下に隠れているもっと本質的なものを捉えてみたい」とみずから提案して、新たなカンバスに上記の引用にも挙げられた牡牛の頭部を油彩で描きだす。以後、映画ではほんの10分間ほどに編集されているものの、実際は5時間ほど筆をふるい続けたという、そのめくるめく千変万化ぶりには目を瞠った。しかし、まだ終わらない。ふたたびカンバスを張り替えると、今度はなんと8日間をかけて『ラ・ガループの海水浴場』に取り組み、描いてはつぶし描いてはつぶし、ついにぐちゃぐちゃに破綻していく、その壮大な失敗ぶりには天地の揺らぐ思いさえしたのだ……。



 さて、クルーゾー監督の目論見どおり、この世にも稀なドキュメンタリーは天才の創造をめぐる秘密を白日のもとに晒したのだろうか?


一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍