つげ義春 著『ねじ式』
左腕の静脈をつないだ
「ねじ」が表象するものは
190時限目◎本
堀間ロクなな
ちくま文庫で『現代マンガ選集』(全8巻)というアンソロジーがスタートして、さっそく第1巻の中条省平編【表現の冒険】を買い求めたところ、つげ義春の『ねじ式』と再会して心臓を鷲づかみにされる思いがした。かつてよりもずっと衝撃度が大きいのは、この年齢になったせいだろうか。そこには、前後して発表された石ノ森章太郎、岡田史子、林静一、佐々木マキ、長谷川邦夫、ダディ・グース(矢作俊彦)らの作品も収められているのだが、とうてい比較にならない。あまつさえ、つげ自身の特異な作風のなかにあっても、『ねじ式』だけが突出した地位を占めているのではないか。
『ガロ臨時増刊号』(1968年6月)に発表されたこの伝説的な作品は、わずかに本文20ページでしかない。
海辺へ泳ぎにやってきた少年がメメクラゲに左腕を噛まれ、静脈の出血を押さえながら医者を探して見知らぬ村をさまよう。そこでは大型軍用機が空を飛んでいたり、茅葺きの家が日の丸を掲げていたり、背広姿の男がレンチを手に胡坐をかいていたり、畑に引かれたレールを蒸気機関車が走ってきたり、それは狐のお面をかぶった男児が運転していたり、道端の金太郎アメ売りの老婆に向かって少年は「もしかしたらあなたはぼくのおッ母さんではないですか」と問うたり、相手の老婆が産婦人科の女医の居場所を教えたり、その女医は全裸になって「ねじ」で静脈の切断個所をつないでくれたり、そして、最後のコマで少年はモーターボートに乗って白波を立てながら「そういうわけでこのねじを締めるとぼくの左腕はしびれるようになったのです」と独白したり……。
それは他界をめぐる遍歴譚でありながら、ほの暗い陰影をまとった村の風景と人々の姿は、あらかじめ自分の記憶の底にあったものが引き出されたかのような、強烈な既視感に駆られるのが不思議だ。ひたすら恐ろしくもあり、ひたすら懐かしくもある、まるで母親の子宮のような、他のだれでもないわたし個人の原風景としか思われないのだ。まさか、そんなはずがないとは重々承知していながらも。
今回久しぶりに読み直して、そのあたりの事情を解くカギが『ねじ式』と同じ年に刊行されたもうひとつの伝説的な書物にあることに気づいた。あの『共同幻想論』だ。在野の思想家・吉本隆明が『古事記』や『遠野物語』などを手掛かりに日本の精神風土を掘り起こしてみせたこれは、戦後に出現した最も野心的な著作のひとつだろう。「禁制論」「憑人論」「巫覡論」「巫女論」のチャプタ―についで展開される「他界論」には、こうした記述がある。
「〈他界〉の問題は個々の人間にとっては、自己幻想か、あるいは〈性〉としての対幻想のなかに繰込まれた共同幻想の問題となってあらわれるほかはない。しかしここに前提がはいる。〈他界〉が想定されるには、かならず幻想的にか生理的にか、あるいは思想的にか〈死〉の関門をとおらなければならないことである。だから現代的な〈他界〉にふみこむばあいでさえ、まず〈死〉の関門をくぐりぬけるほかないのである」
すなわち、みずからの内なる自己幻想や異性とのあいだの対幻想より発して、他界という共同幻想に踏み入っていくためには、どうしてもいったんは死を通過する必要があると分析しているので、それはまた、『ねじ式』が暴露してみせたわたし個人の原風景を解き明かすものでもあったろう。他界をさまよう少年を抱き止めて、全裸の女医が左腕の静脈に取りつけた「ねじ」こそ、まさしく自己幻想・対幻想と共同幻想をつなぐ死の関門の表象だったのだ。
当時は日本をGNP世界第2位の経済大国へと押し上げた「いざなぎ景気」のもと、3C(カー、クーラー、カラーテレビ)を「新三種の神器」として空前の大衆消費ブームが押し寄せたなかで、どうやら、つげ義春や吉本隆明は社会精神の深層に濃密な死のイメージを見つめていたらしい。その視線の先にあったものが、やがて七〇年安保をめぐる騒乱に炙り出されるようにして、三島由紀夫の割腹自殺や連合赤軍のリンチ殺人といった形で社会に立ち現れたのだろう。そして、もし『ねじ式』が現代に対してなお衝撃力を持つとしたら、いまだにそれらを乗り越えられないでいるか、ないしは、われわれはもはや死のイメージすら見失ってしまったからに違いない。
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