夏の記憶、ジャスミン畑と墓場
黄文葦
私は幼少期を故郷の中国福州の田舎で過ごした。母親は田舎の小学校の先生なので、一家は小学校の宿舎で暮らしていた。小学校の校舎は山の中にある。交通不便で、バス停まで徒歩一時間ぐらい。
校舎からの眺めは絶景であった。遠くには広い川がゆっくりと流れ、漁船がゆっくりと行き交い…遠くの山の輪郭を今でも克明に覚えている。
しかし、今思えば不思議に、校舎の周りにはジャスミン畑と墓場があった。因みに、ジャスミン茶は故郷の名物である。小学生時代の楽しみはジャスミンの花摘みこと。それは学校が主導の学内ワークスタディだそうだ。学校が地元農家を招いて生徒にジャスミンの花植えを指導した。生徒が摘んだジャスミンの花を学校が集めてお茶の工場に販売する。そのお金は生徒のために本や楽器を買う。田舎の小学校には、楽器団があった。昔の中国には結構珍しいこと。私は楽器団でちょっとだけバイオリンを習った。
夏の夜、一緒に学校の宿舎に住んでいた教師の子供たちがジャスミン畑と墓場の間に遊んでいた。その中、石畳に囲まれてとても広い墓地があった。私たちがいつも石畳に座って、お喋りをしたり、喧嘩したりしていた。
ある日、一人の仲間が「人が死ぬと幽霊が出るっておばあちゃんから聞いたんだけど、ここはたくさんの墓地があって、今たくさんの幽霊が私たちの周りに隠れて、話を聞いてくれているんだよ」と言った。 その話を聞いたら、私は一瞬「怖い!」と思った。まさか、幽霊が私たちの周りにこっそりいるって…でも、ほかの子供が「噓だ」「嘘だ」と叫んだ。私たちは学校で「神を信じず、幽霊を信じず」の教育を受けていた。
家に帰って、両親に「本当に幽霊がいるのか」、と聞いた。 母親はすこし考えた後答えてくれた。「本当に幽霊がいるかどうか、わからない。でも、君たちがよく墓地で遊んでいるでしょう。幽霊がいたとしてもそれはそれでいい、幽霊たちはずっと黙って君たちの話を聞いていた、いい幽霊ですよ。怖くないよ」。それ以来、成長していく日々に、人間以外にも目に見えない「種族」が存在するかもしれないと思いをはせていた。
日本に来て、歌「千の風になって」の「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」を聴きながら、いつも子供の頃、ジャスミンの香りが漂う石畳に囲まれる墓地を想起する。幽霊たちが子供たちの遊びを黙ってみていて、彼らは私たちを守っていたね、と思いながら微笑したくなる。
20年前に、日本にきたばかり時、半年間、乃木坂にある親戚の家のマンションに住んでいた。近くに墓石屋・霊園・米軍基地がある。住居のそばに墓地があることに、ぜんぜん違和感がなく、子供の時、墓場で遊ぶ経験があるので、逆に言えば、少し親近感が湧く。人間社会と天国の距離、実に近いかもしれない。そういえば、日本の家は中国よりも小さく、墓地も中国よりも小さい。
大学の日本語別科で日本語を勉強していた頃、教科書の中、民俗学者柳田国男の文章が載せられている。日本では、お化けや妖怪の文化が豊かだと感心した。その古きよき文化でも日本原風景の一つのカタチである。世の中、私たち人間の以外に、神様、幽霊、お化け、妖怪にもそれぞれの居場所と役割がある。
いつも自然災害に見舞われている日本では、河童、座敷童、アマビエなどの妖怪たちは、災害の前触れ、あるいは警告を鳴らす存在として、常に人間の傍らにいるわけ。今年、新型コロナの感染拡大を受けて、邪気を払うために、SNS上ではアマビエの絵を描く人が相次いでいる。残念ながら、新型ウイルスが出る前、アマビエからの警告は無視されていたのだろうか。
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