『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』

わずか3年ほどのアメリカ公演が
永遠の伝説をつくりあげた


218時限目◎音楽



堀間ロクなな


 ザ・ビートルズという存在には、もうひとつぴんとこないところがあった。ひとまわり上の団塊の世代が神格化しているのに比べると、わたしが物心ついたときにはすでにかれらは解散していて、過去のレコードで接するよりほかなく、なかでも『アビイ・ロード』は耳にタコができるくらい繰り返し聴いてきたけれど、だからと言って信者になるというほどの関係ではなかった。そのあたりのギャップが多少とも埋められたのは、ロン・ハワード監督の映画『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK』(2016年)を観たからだ。



 これは、ザ・ビートルズのアメリカでの公演活動の一部始終にスポットを当てたドキュメンタリーだ。イギリスのリヴァプールの労働者階級に生まれたジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの、いずれも20歳前後の4人によるバンドが1962年秋にレコード・デビューして、ティーンエイジャーの女の子の人気を集めると、マネージャーのブライアン・エプスタインの差し金で揃いのスーツの洗練されたイメージを打ち出してさらに躍進し、1963年に発表した『プリーズ・プリーズ・ミー』『ウィズ・ザ・ビートルズ』の大ヒットを見て、ついに1964年2月11日に初のアメリカ公演がワシントン・コロシアムで行われた。



 「この国のファンはワイルドだ、最高にイカれていたね」



 ジョンが公演後のテレビ取材で残した言葉だ。アメリカへの進出は「表現者にとっての金脈」だったが、それは音楽マーケットの拡大にとどまらず、ケネディ大統領の暗殺、ヴェトナム戦争の激化、ビキニ環礁での核実験……と、まさに時代の奔流のまっただなかに放り込まれたことを意味して、たんにラブ・ソングを歌って女の子たちを熱狂させるやんちゃなアイドル・グループだけでは済まなかった。かれらは自由と平和を訴え、また、黒人差別の解消を求める公民権運動のさなか、アメリカ南部で主催者がコンサート会場に人種隔離を持ち込もうとすると「馬鹿げている」と断固拒否して、さまざまな肌の色が観客席に並ぶ公演を実現させたのだ。のちに映画『天使にラブ・ソングを…』(1992年)で主演した黒人女優ウーピー・ゴールドバーグは、当時を振り返って「子ども心になにかが閃いた、世界が光り輝くのを突然感じたの。白人も黒人もない、だれでも受け入れられるんだって、ビートルズに教わったのよ」とコメントしている。



 やがてアメリカでの公演は規模がふくれあがって、1965年8月15日のニューヨークのジェイ・スタジアムでは5万6500人がスタンドを埋め尽くし、特製の音響装置を用意したもののとうていパワーが足りずに、ひたすら大歓声が耳を聾するステージで『デイジー・ミス・リジー』を歌う4人の不安の形相が生々しい。イギリスに帰ったかれらは生気を取り戻して、プロデューサーのジョージ・マーティンとアビイ・ロードのスタジオに入るものの、落ち着いたレコーディングは許されず、すぐにまたワールド・ツアーへと駆り立てられていく(日本では武道館の使用をめぐって右翼の反対運動が起きた)。そして、心身ともに疲弊したメンバーにあって、ジョンのジョークが物議をかもすことに――。



 「ぼくたちはキリストより有名だ」



 この発言はアメリカ国内のとりわけ宗教右派の反発を招き、爆弾予告も乱れ飛んで、1966年8月29日のサンフランシスコで行われた全米ツアー最終日には厳重な警戒態勢が布かれ、公演終了後、4人はただちに囚人護送車に乗せられて会場をあとにする。その車中で、かれらは「もう終わりだよ、たくさんだ」と話し合って、以降はもっぱらレコーディング・アーティストの道へと転進していく。こうして世界最大の音楽マーケット、アメリカでの公演はわずか3年ほどではじまって終わり、二度と行われることはなかった。



 おそらく、ザ・ビートルズはイギリスにとどまっていれば、天真爛漫なアイドル・グループとしてもっと長くコンサート活動を展開できたろう。それが、アメリカに進出したことによって真正面から時代と激突した結果、ステージを犠牲にするのと引き換えにあの時代のアイコンとして永遠に君臨することになったのだ。わたしは、ジョンのジョークもあながち的外れではなかったように思う。福音書によれば、イエス・キリストが故郷ナザレを出立して、12使徒とともにガリラヤからエルサレムへと布教活動を行ったのち十字架上で終焉を迎えるまで、やはり3年ほどだったという。個人が生活を築くには足りないが、人類史において永遠の伝説となるのには十分な期間なのだろう。わたしも改めてかれらが残した楽曲を聴き直してみるつもりだ。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍